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根っこのほうの気持ち

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不特定多数の人がみている場で書くことではないと思うけど、
自分のために、やっぱり、ちゃんと書いておこうと思う。





1/10、ガザ攻撃に対するはじめてのアクションに参加した日の夜、
ある集いを断った。
いわゆるドタキャンというやつ。
正確には2日前に断りの連絡をいれたのでドタキャンではないのだけど
本心を語らずしてキャンセルしたので、ドタキャンのようなもんだ。



去年に暮れにガザ攻撃のニュースがながれてからずっと、
こころの中がぐるぐるしていて、どうしようもなくなっていた。
考えて考えて、眠れない日もあった。


もともと容量が少なく、気になることがあると、
それ以外をもつことができなくなる傾向にある。
しばらくの間、オーダーものの鞄も作れずにいた。


10日の集いは前々から予定されていたもので、
参加する面々も、ライターやカメラマンであったり、名の知れた作家さんや
ギャラリーの方であったりと、とても魅力的な方々だったのだけど、
それだけに、どうしても行くことができなかったのだ。


そのうちの何人かは、ほぼ初対面であることもあり、
その場できっと求められるだろうと思ったからだ。


自分のモノづくりについてを、
そして、自己表現についてを。


そして、魅力的な個々の、
自己表現の(への)ストーリーを聞くことにもなるだろうと。



それが怖くて、
行くことができなかった。






誤解と偏見を承知で云えば、


おなじ地球上で、
おなじ人間同士で、
たった今、
ひどい虐殺がおきているときに。




どうして「声」にしないのだろうと、
思ってしまうのだ。




なにかしら表現をしているものであれば、
なおさら。



「自分になにができるだろう?」


そう、自分に問うことを、
なぜ、しないでいられるのか...






誘ってくれた友人には、
“心身が整っていないので申訳ない”とだけし、
本心を語ることができなかった。

でも、話すべきだったと思っている。




根っこにある、
ほんとうの気持ちを。



違和感を恐れず、
真摯に向き合わなければと思う。

人にも、自分にも。
by cotomono | 2009-01-26 20:06
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