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self-abandonment

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I have no choice but to watch "tensegrity" of the straight fact
to reproduce essential "tensegrity".

tensegrity arrives at the method to completely abandon
"a more important part".

By the complete self-abandonment,
it can be resonant with an existence method of "tensegrity".


本質的なテンセグリティを再現するには
あるがままのテンセグリティを見る以外にはない。

テンセグリティは
<より重要な部分>を完全に放棄する方法に到達している。

完全な自己放棄によって
テンセグリティの存在方法と共鳴することができる。

 -梶川泰司「自己放棄」



自己表現の行き着く先は、自己放棄にあるだろうと、
ものづくりを始めた頃から直観的に感じていた。

何故なら、わたしが「美しい」と感じるものには、
「それ」がみてとれたから。

そして、その美しさのなかに「本当のこと」があると思った。
わたしも、美しいものをつくりたいと思った。


だから、ある時点までは自分のやっていることが、
「自己表現」と呼ばれるのに対して違和感があった。


誤解を恐れずに言えば、わたしは自己を棄てたくて仕方がなかったし、
やればやるほど、その思いに苛まれていった。

でも、これは一見矛盾していることにも思えるので、
それをどう理解し「自己表現」をやっていけばいいのだろうと
考え続けていた。


直観は、言葉では言い表せないものだから、
というか、言葉にする以前のものだから。


でも、言葉にぜずとも
はじめからわかっていたのだ。

それは予め、与えられていたのだから。
by cotomono | 2014-05-19 00:39
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