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菊次郎さんと次郎くん。

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昨日は早起きして、見逃してしまっていた「ニッポンの嘘」の上映会と
福島菊次郎さんのトークショーへ。

御歳92の菊次郎さんのお話を聞けるのはこれが最後かも?というわけで、
会場は若者からお年寄りまで満員御礼。。。

まず午前中は映画の上映会からスタート。
ヒロシマから始まり、戦後から今日までのニッポンの真実が
菊次郎さんのファインダー越しに嘘偽りなく映し出されていて、
(寝不足で途中で寝てしまうかも)、、とわたしの至らぬ心配をよそに
120分、最後までどのシーンも逃さぬよう食い入るようにみいっていた。

どの場面も目に焼き付いているけど、いちばん胸にぐっと込み上げたのは
三里塚闘争のシーン。

「さんりづかとうそう」って名前くらいは知ってたけれど...

1960年代半ばから約12年間にも及ぶ名もなき農民(市民)たちの反対運動は、
まぎれもなく命を架けた闘争であり、いま現在ある成田空港はその闘いの
跡地なのだなと思うと、その歳月の重みにただ言葉を失う。

闘争終焉間際、反対する農民(市民)たちが航空機の飛行を阻むため建てた、
この闘いのシンボルのような大鉄塔が、政府側のブルトーザーで倒されそうに
なったときのこと。

“ 兎 追いし かの山 ”と、「ふるさと」を唄う声がどこからともなく
はじまり、その声は次第に大合唱となりあたり一面を包みこんだそうだ...

しかし、その声はブルトーザーの轟音にかき消され、
やがて、止んだ。



「国破れて山河あり」

「闘い破れて故郷あり」って、いま作ったけど...
そんなあたりまえのことも、もう云えなくなってしまったのかな。
い、いや、そうであってはいかんのだ。


余談だけど、普段は歩くのもおぼつかない菊次郎さんがカメラを構えるときは
背筋がピンと伸びシャキっとなる姿はもうかっこ良くてホレボレしてしまう。
わたしもおばあちゃんになってヨロヨロになってもミシンかけるときは
シャキっとしてたいな。


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上映後、お昼休憩で外にでると、最近よく会う坊主あたまのHくんと、
こちらはお久しぶりの、大分のSさんが息子の次郎くんと一緒に手を振っている。

Sさんと次郎くんはトレードマークのアフリカ柄でキメてて
周囲から一目置かれているけど、目立っているのは服だけでなく、
それはやはり、次郎くんが「ふつう」とは違うからだろう。

そう、次郎くんは1級手帳を持つ知的障害者だ。


次郎くん、よく見ると首から何かぶらさげている。
お菓子の箱をリメイクして中にはカンバッチがたくさん。
1個300円で売ってるらしい。「雑貨屋次郎」立派な行商さんだ。

次郎くんは明るく人懐っこい性格で物怖じしない。
人にどう見られているかなんて気にしていない。

次郎くんはその特徴を生かして、ばんばん、人に声をかける。
あー、とか、うー、とかだけど、不思議とちゃんと通じているようで
これまでにカンバッチ600個も売り歩いているそうだ。すごい。

もちろん、通じない人だっているだろう。(そっちの方が多いかも...)
でもそれでいいのだ。

障害があろうがなかろうが、通じない人には通じないし、
誰からも好かれるなんてありえないもの。



でも、ひとつたしかなことがあって。

次郎くんがいると、それだけで場が温もるのだ。


次郎くんは障害者で不自由で、あまり生産性のない、いわゆる「弱き者」だけど、
だからこそ、みんなの中にある人間性(ヒューマニズム)にスイッチが入る。
「大丈夫だからね」と、弱き者を見守ろうとする無言の気持ちが気配となり
場の空気を温かく変えるのだ。

でも、それは強き者を前にしてはそうならない。
弱いより強いがいいに決まっているのに、なんでだろう?

そういえば「強がり」とはいうけど「弱がり」とは云わない。
それだけ弱さって、みなが共通に持っている「人間らしさ」だからだろう。






強さや優しさって、いまだによくわからないけれど...

その「弱さや弱き」を、逡巡しながらでも正直に、そのまままるごと抱きかかえて、
内包していくことが力となり、強さや優しさをつくるのかな。

そして、それができる人は、そうでない人より大変だけども
きっと、豊かな人生になる。

それは、いち個人であっても、
いち国家であっても、同じなんだと思う。


強い人間でなくていいし、強い国家でなくていい。

正直に、「弱さや弱き」を内包できる人や国でありたいと
菊次郎さんと次郎くんから教えられた気がする。

おふたりさん、ありがとう。
by cotomono | 2013-09-24 23:04
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