昨夜は久しぶりにライターのKさんとうちでお茶をする。
「ariya.」はもう17号にもなるそうで、本業の傍ら、これだけ質の高いものを
よく作り続けてるな〜と頭が下がる。
今号には、Kさんのスリランカ フェアトレード珈琲紀行も載ってて、
とても良い記事なので、良かったら本屋さんなどで買ってくださーい。
そんなKさんに、わたしがこれからやってみようと思ってることを話すと
「うん、いいと思う」とすんなりわかってくれた。
まぁ、Kさんとはおなじ穴のむじなだからね...(笑
しかし、Kさんもそうだけど自分が食べていくだけで精一杯なのに、
なんで誰かの助けになりたいとか、役に立ちたいとか思うのか不思議。
思うにもうこれは、人としてというより「いきもの」としての直感で、
助けたり助けられたりしないと、生きていけなくなるのが分かってるのかもなぁ。。
ぜったい、いまより大変になるのは目に見えてるのにな。
でも、そういうものを持たない「ものづくり」はわたしにはありえないから、
大変だろうが何だろうが、まぁもうこれは自分がやることなんだろう。
世界は壊れかかっているから、修復機能のとしての反動かもしれん。
あと、Kさんのスリランカ紀行を読んでても思ったけど、
やっぱり「そこ」に行くって大事。自分で近づいてみないと感じないもの。
感じないままに、考えてばかりいると、イメージばかりが肥大化して
身勝手に絶望したり、そこにただある希望にも気付けなくなる。
草でも花でも、虫でも魚でも、いきものである以上、
おしまいの日がくるときまでは、生きるであろう。人も然り。
その大前提があるから、まぁなんとかなるだろう。
そして、助けたり助けられたりしながら生きて行く。
それが、いきものとしての、直感。