3月。そして縫い仕事がないひさびさの休日。
ありがたいことに、今週末からまた制作の日々がずっと続くので、
今日はふっくら膨らんだ桃の蕾みを眺めながら、ぼーっとしつつ、
お昼、ちょこっと取材を受ける。
最近、こういうのがなかったので忘れてたけど、
改めて自分を伝えるのって、難しいなぁ...と。
当然、取材する側の意思があるので、それをあまり外すのも
申訳ない気もして、、、
まぁ、でもつくづく思うのだけど。
自分って、自分であって他の誰かでもあるので、
それに委ねることで、自分を知ることにもなる。
個展中、おもしろかったのは、わたしの作品なんだけど、
自分のことのように誰かに伝えてくださる人たちを目の前にして、
ものづくりという、ある意味「個人」を突き詰めていく行為の先にあるのは、
「他者」だったりするのだと改めて感じた。
個展中、何度となく「手放すのが惜しくなったりしませんか?」と聞かれ、
たしかに以前はそういうのがあったけど、最近は不思議とない。
愛着がないわけじゃないけど、作っている時点で、
すでに自分じゃない誰かのことを考えているので、作品は自己投影に違いないけど、
その「自分」をどう捉えるかで、映し出されるものは変わってくるのだろう。
自分なんてたかが知れてるけど、世界中にはいろんな誰かがいて、
その誰かのぶんだけ、自分があるのだとしたら、
そりゃ、果てしなくおもしろいわなぁ。。。(笑