熊本の灯

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熊本を襲った大きな地震から2週間と少しが経ち、ようやくここに何かを書く気が
湧いてきました。2回目の本震は福岡もだいぶ揺れたとはいえ、日々の生活が失われ
るようなことは何もないのに、自分の大好きな人や場所が傷付くのはこんなにも辛い
ことなのだなと思い知らされる日々でした。

かといって支援らしきものは何もできず、地震からしばらくはひとりでいると
どうにも苦しかったのですが、そんな時は近しい仲間や友人たちと小さな音楽や
たわいもないおしゃべりを介して、同じ思いを共にすることができて本当に
助けられました。


そして今日ようやく、展示会でもお世話になっているorange・橙書店の久子さんと
電話でお話しができて、久子さんの声を聞いているうちに自分の心を縛ってたものが
急にほどけてしまい、励ますつもりが最後はこちらが泣いてしまいました。。

お店の状況について、わたしがここに書けることではありませんが、
気骨ある文化の源泉ともいえる熊本の街にとって、そして小さな声しか持つすべ
のない無数の名もなき者たちにとって、あの場所は、かけがえのない灯であり、
そして、その灯とおなじ光や温もりが自らの中にもあることに気づいたとき、
たとえ暗闇のなかにあっても、その灯で再び、自分の中にある光に灯を点す
勇気が湧いてくるような、そんな場所なのです。


うえの写真は、そんな場所で生まれた熊本の雑誌『アルテリ』

2月に川内倫子さんの写真展でorangeに行ったとき、まだ本屋さんに並ぶ前の
出来立てホヤホヤの『アルテリ』を久子さんに見せてもらったのですが、
子どものように嬉しそうにアルテリのことを話す、その時の久子さんの笑顔が
ほんとうにキラキラしていて、こっちまで嬉しくなりました。その時にちょうど
この雑誌の影の立役者?である作家の渡辺京二さんもいらしていて、
特別にサインもしていただいたという、ちょっと自慢の一冊です。。。

読んですぐ、大事な友達にも読んで欲しくて貸していたのですが、
地震のあと、どうしても手元に置いておきたくて一旦返してもらいました。。

石牟礼道子さん、渡辺京二さん、伊藤比呂美さん、坂口恭平さんなど、
作家陣が本当に素晴らしいのですが、長らく石牟礼さんの番記者をされていた
という浪床敬子さんの「石牟礼道子の歌」は、いつか『苦海浄土』を読める日が
わたしにもくるだろうか、、と胸に響くものがあり、石牟礼さんを知らない人にも
読んで欲しいなと思いました。

そして、久子さんが書かれた「弱者の文学」は、ここに全文を書き写したいくらい
何度も読み返しているのですが、5年前、初めて橙書店(orange)を訪れた時に、
ここで展示会をさせてもらいたいと強く感じた、自らを救うことで他者をも救うこと
のできる、誰のものでもないけど、誰のものでもある「勇気」のようなものを、
「弱者の文学」を読んだ後に、またもらった気がしました。

熊本の灯に、励まされる日々です。
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# by cotomono | 2016-05-01 21:38 | Comments(0)

空白

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さて『ガイアの法則』を読了。この本を貸してくれた友人がしきりに
すべては「スピン」だから、と言っていた理由がはっきりわかりました。
読書にはタイミングがあるのですべての人におすすめはできないけど、
わたしにとってはまさにジャストインでした。


不安や恐れにかられ、
空白を埋めようとしないで。
空白は、空白のままに持っておいて。
空白こそが、スピンする宇宙なのだから。

(以下、本書より一部をご紹介します)


シュメール(文明)では、人間の思念は神から与えられるものと考えられていた。
与えられた思念である以上、それは必ず宇宙のリズムに合致するのだ。
それを受け取るためには、受け取るための魂の空間を用意しなければならない
というのが、我々神官の思考への認識であった。

そうして用意された空間に、節目の時には必ず思念が舞い降りるのだ。
そしてその思念は次のサイクルに向けて強い創造の力を発揮するのである。

自ら作り上げた思念によっても物事は成就できる。
しかしそれらは長期的には宇宙のリズムを壊すのだ。

思念というものは、心が空白でありさえすれば、
必ず各人に最も必要なものが与えられるようにできている。
自ら作り上げるものではないことを、あなた方は知らねばならない。
それを受け取るべき時の中心点が、節目の時なのだ。

宇宙の星々は自らの主張のためにスピンするのではない。
星々は中心の力にうながされ、その力に自らをゆだねることによって為される
スピンという自己完成の悦びに打ち震える。
宇宙の存在は、波に自らをゆだねるサーファーのようなものだ。
いかにゆだねられるかですべては決まる。

宇宙は、必要なところに、必要なだけの、必要な配置を与える。
その計算に狂いはない。しかしながら、個人の意志で何かを目ざし、
個人的思念の力でそれを実現しようとする者であふれる時、
それはすでに思念の次元に摩擦と闘争を生み出すのだ。


現代のあなた方の社会は、様々な世界的問題を抱えて、
あなた方はそれを解決するのは至難の技だと思っている。
しかしそれは、過去を捨てようとせず、
過去にしがみつこうとしているから至難に見えるだけだ。

死と言えば、あなた方は恐怖を感じるだろうが、
私たちシュメール人はそれを成長へのステップと考えていた。
魂は、小さな死や大きな死が繰り返されることによって進歩を遂げる。

冬至や夏至、満月や新月が来るたび、魂は小さな死を迎え、
古い何かを捨て、新しい何かを誕生させようとする。

そうした魂の躍動に、現代のあなた方は鈍感になってしまっているが、
しかし、あなた方の魂にもその躍動のリズムが確実に脈打っているのだ。






さて、ドイツでカバンをお取り扱いしてもらえることになったお店から
今回から正式なルートを通してやりましょうとご提案をいただき、
ドイツの友人ピーターにサポートしてもらいながら色々と準備を始めています。
(前回はあくまでも販売を目的としない展示会の延長線上で起きたラッキー
かつイレギュラーな動きだったので、、、)

正直、関税が20%近くかかるものが、そうやすやすと動くとは思えないけれど、
これから10年は海外で動かしていけるようになりたいなと思っていたので、
これまたジャストなタイミングでまた新しいサイクルの軌道に乗れたことに
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとう!


相変わらずのノロノロペースですが6月には展示会も予定しており、
さてさてどんなカバンがでてくるやら、自分でも楽しみです☆
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# by cotomono | 2016-04-03 18:16 | Comments(0)

What is the time?

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もう毎日毎日時間のことばっかり書いて、この人アタマくるってるんじゃ?と
思われてそうですが...(笑)どう考えてもこの世界はくるってしまっているので
こちらも本腰入れてくるっていかないとね〜と超真面目に思う所存です。
これからはもう正常バイアス働かせているバアイじゃないですよー、みなさん(笑

まぁ、それは冗談として...(ほんとは冗談なんかじゃないけどね)
過去→現在→未来という直線的な一方向の時間の概念が崩れることで、
この物質的な世界を覆っているたくさんの「思い込み」という観念の大枠が外れ
もっと根源的なタマシイの骨格のような、宇宙の法則ともいえるようなものが
浮かび上がってくる気がしています。


そんなことを考えながら、お友達に貸してもらった去年Eテレで放映されたという
「時空を超えて『時間』は存在するのか?」という番組のDVDを昨日再び観直して
いたことろ、いま、自分が感じている「時間」についての感覚はまさにコレだ!と
いうのが目に飛び込んできたので、思わずひゃっほーと小躍りしてしまいました(笑

残念ながらYoutubeに映像がアップされてなかったのですが、ご親切にも
全編をテキストでアップしてしてある方がいたようで、それを一部抜粋でご紹介
させていただきます。

どうやらわたしが感じている感覚は、
物理学用語では「ひも理論」というようです。

そしてたぶん、意識は新たに作ったり開いたりしていくのではなく、
すでにあるものを拡張し、フォーカスできるチャンネルを増やして
いけばいいだけなのです。


(以下、テキストより抜粋)

>>>>>


謎はまだあります。
昨日今日明日という前提を揺るがすような問題です。

時間は横に流れているように思えます。
しかし、もし上下にも流れているとしたら?
時間にも空間のように私たちには見えない
複数の次元が存在するとしたらどうでしょうか?

スティーブ・ワインスタインは複数の次元が存在すると考えます。
更にそこに電子や光子などの素粒子が存在するのではないかと推察します。
ワインスタインは物理学者哲学者そしてプロのミュージシャンです。
ワインスタインの時間の考え方はひも理論から発展したものです。

ひも理論では空間に私たちには見えない4次元以上の空間が存在すると考えます。
ワインスタインはそれが時間にも当てはまるのではないかと考えました。

「空間の次元を自由に増やせるのであれば
時間の次元も増やせるのではないかと考えたんです。
それまで時間はずっと1次元的な「線」と捉えてきました。
しかし2次元なら線ではなく「形」になります。

ギターのケーブルは遠くからは1次元的な線のように見えます。
でも近くで見ると別の次元があるのが分かります。
円周があり円筒のような形です。
私たちに見えている次元は別の方向に広がっているのかもしれません。」

ワインスタインは電子や光子などの素粒子は
2つの「時間の次元」にわたって存在していると考えます。
素粒子を表す場合、一般的に時間軸のどこにあるかを説明します。
この(ギターの)ピックが素粒子だとすると
「ここ」とか「ここ」にあるというわけです。

図にする場合は縦軸が時間ならそこに記していきます。
時間にもう一つ次元があるとしたらどうでしょう?
その次元がギターのネックと直角にあると想像してみて下さい。
すると素粒子の位置は「ここ」だけではなく「ここ」や「こっち」にも
あるかもしれません。


>>>>>>

素粒子を「いま」に置き換えて、イメージしてみてください。
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# by cotomono | 2016-03-22 20:42 | Comments(0)

受け取る力

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昨日、着物やさんでお昼休みのお昼寝から目が覚めた直後、
ぼんやりとある人の顔が浮かんできたのですが、それからしばらくして、
その人が着物やさんを訪ねてきたのでちょっとビックリしました。

その人は数年前に着物やさんで一緒に働いていた子で、いまは結婚して子育て中。
ごくたまーに子どもを連れて顔を出してくれるのですが、いつもは事前に連絡して
から来るのに昨日はふらっと立ち寄ったそうで、彼女の意識がこっちに向かって
いたのを寝起きのわたしがキャッチしたのでしょうかね〜、ふふふ。。。


さて、前の日記に「時間」を空間として感知するようになったと書きましたが、
この状態を人に説明するのが本当に難しくて、分かりやすいように細分化して
伝えようとすると本質がぼやけるし、まぁでも感覚的なことだから仕方ないかぁ..
思っていたところ、またまた目に飛び込んできた記事にわたしの感覚にピタッと
フィットすることが書いてあったので、こちらより抜粋してご紹介します。

:::::::::::::::

あなた方は生命のエネルギーというものが、宇宙、大地の力によって生じるもので
あることを忘れている。あなた方は重力というものを、単なる物理現象としてのみ
認識しているがいずれ、生命エネルギー自体が、あなた方が重力と呼ぶ力の本質に
関わっていることを発見するだろう。


宇宙における存在のすべては、時空間における一つの統一体であり、
それぞれがより大きな時空の完全なる支配下にある。完全なる支配下にあるとは、
その恵みの下にすべてを流動させているということである。
しかし現代のあなた方は、時空から恩恵を受け取るあり方を見失っている。
それこそが、あらゆる摩擦(まさつ)の原因なのである。

あなた方は自分が築いた観念の領域にのみ生きており、
現実のこの宇宙から外れているからだ。観念的頭脳の作り出す領域とは、
あなた方の表層的意識が作り出す領域のことでしかないが、体感意識は宇宙に
つながることのできる領域であり、人間の本質にもっとも近い領域である。
つまり空間とつながるなら、あなた方はそれだけで完全なる存在なのだ。


:::::::::::::::::::::


ちなみにこの記事の元になっている「ガイアの法則」は以前から
お友達に薦められている本なので、そろそろ読むタイミング、
周波数があってきたってことかな?

あぁ、毎日ワクワクするなぁ。。。(笑
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# by cotomono | 2016-03-19 17:30 | Comments(0)

愛は観察可能な力

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さて、グレゴリオ暦でいうところの3月になり、あちこちで定例の挨拶のように
「あっという間にもう3月ねー」と時間が短いことを言い合う会話を耳にしますが、
わたしの時間の感覚は相変わらず増えていて、あちこちに時間がいっぱいある
感じがますますしています。

それで、こないだある人に、わたしが感じている「時間」について話したところ
「時間」はスパイラル(螺旋)構造になっていて、本当は過去も現在も未来も同時に
存在していることを話してくれました。

この感覚は方眼紙のグリッドが立体構造になっている図をイメージしてもらうと
すんなり入ってくるかと思うのですが、時間は同空間に無数にあって、ただ、
ラジオの周波数を合わせるように、「今」がどこにあるかだけなのです。
だからチャンネルを変えれば変えるだけ、無数の今の時間軸がある。

わたしが時間が瞬間的に膨らんだり、増えていると感じるのは
過去→現在→未来と当たり前のように直線上に流れていると思っていた
時間の概念が崩れ去り、時間を立体(空間)的に感知しはじめたからだと
思います。


さて、この直線的な時間の枠組みであるグレゴリオ暦を調べたこところ、
1572年に第234代 ローマ教皇グレゴリウス15世という人が新しい暦、
つまりグレゴリオ暦の導入を勝手に決めて1582年10月から実施されたそうです。

で、それ以降グレゴリオ暦は世界の標準時間として定着することになったわけですが
基軸となる世界中のみんなが時計の針を合わせるゼロ地点(磁場が強くなる地点)
がどこにあるかというと、イギリス・ロンドンのグリニッジ時計台なわけです。
そしてロンドンといえば金融イルミのみなさんや女王陛下のホームグランドであり、
ほんとよく仕組まれているなぁと感心してしまいました(笑

なので結果的にわたしたちが無意識に時計をみたり手帳に予定を書き込むことは
意図的にこの人工的な時間の流れであるグレゴリオ暦にチャンネルを合わせて
いることになってしまっているのです。

一年が12ヶ月に設定してあるのも考えてみるとおかしな話で、なんで
1ヶ月が30日だったり31日だったり28日だったり4年毎に29日の閏年を
作ったり、これって何だろう?と子どもの頃から不思議に思っていましたが、
試しに自分のカラダの周期である28日を365日で割ると13.035714...となり、
ほぼ13になります。

女性のカラダ周期は月の満ち欠けと同じと言われているので、
自分(のカラダ)を基準にすると1ヶ月は28日で一年は13ヶ月です。

ちなみにカタカムナで紐解くと、
「12」は、ルで「止まる・留まる」を意味し
「13」は、ムで「広がり」を意味し、永延に割り切れない素数であり、
「素数」は数霊「70」で調和そのものを意味します。


そして面白いことに、グレゴリオ暦を設定したグループのそのまた上の人たちは
現在も「一年=13ヶ月」の暦で生活しているそうです。
13日の金曜日という映画を作らせたりと、13を不吉な数字として避けるよう
にイメージを操作しているのは誰なんでしょうね?

まぁでも、そんな難しいことを考えなくてもこの古いシステムはお役御免なときが
近づいてきているので、気がついた人からその直線的な時間軸から離れて
自分の時間軸で生き始めればいいだけの話です。




直線的な時間が幻想であることや、時間と重力の関係をよく表現している
「インターステラ」という映画があります。

ネタバレになるので詳しくは書きませんが、ラストシーンに展開される
5次元を3次元空間に投影したシーンをみると、時間は直線(平面)ではなく
立体(空間)的なスパイラル(螺旋)構造であることがよく理解できます。
わたしは2回見ましたが、初めはストーリーを追うのに精一杯ですが、
2回目はいろいろと気付きがあり、何回かみるうちに時間と重力の関係についても
理解できると思います。


ちなみに今日の日記のタイトル「愛は観察可能な力(よ)」とは、
劇中、宇宙物理学の博士であるアメリアが感情を吐露した言葉です。
なんだか胸に響いたので、覚え書き的に書いておきます。
なぜなら観察とは客観的な(自分から離れる=理解する)行為だからです。



次々にロックが解除されるような日々が続いていて、
新しい扉が開くたびにカラダが軽くなる気がします。
そのうち重力もなくなっちゃうかもね。あはは(笑

あ、最後に「扉が開く」とさらっと書きましたが、
扉が開く原理は、内側と外側が同じ周波数になることで生じる現象で
扉が開くことは、扉の内側と外側が混じり合う、つまり「融合」を意味します。
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# by cotomono | 2016-03-06 15:12 | Comments(0)

「私」

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自分のことを名前で呼ばなくなったのはいつからだろう?
そして、自分のことを名前ではなく「私」と言うようになったのは?

はっきり覚えていないけど、幼稚園に行く頃にはもう自分のことを
「私」と呼んでいた気がします。いや、もしかしたらもっと早かったかも...
いわゆる自我の目覚めの頃にはすでに「私」になっていたのかも。

それから今日に至るまで、何の疑問も持たずに、
ずーと「私」で生きてきたわけですが...

仮にこの日記を書くのに「私」という表現を使わずに書こうとすると、
とても困るというか、正直うまく書けないわけで、
でも、心の中で何かをつぶやいているときには「私」という意識はなく、
こうして、他者(社会)に対して発するときに「私」がでてくるわけです。

ちなみに、私の意味を現在の辞書で引くと
「私」と「公」は相対関係にあることが記されています。


さて、ここからが本題です。

現在の辞書(例:広辞苑)の言わば親にあたる
古い辞書で「私」を引いてみると、現在使われている意味とは
全く違う意味が記されています。



「私」に限らず、古い辞書と現在の辞書を見比べると、明らかに現在の辞書は
本来の言葉の意味を割愛したり意図的に省略していて、それどころか
本来の言葉の意味(言霊)のエッセンスを消し去っている節さえあります。

では、いつ誰がなぜ、そうしたのでしょう?


例えば、よく「体を鍛える」という表現をしますが、
なぜ、鍛える必要があるんだろう?とずっと不思議に思っていたのですが、
「体」という字には、本来「劣る」という意味があるそうです。
ちなみに、旧字で「からだ」は、骨偏に豊の「體」であり、こうして見ると
あぁ、本来からだって豊かでありぜんぜん弱いイメージは湧いてきません。

劣ると意味付けされた字、「体」を使うことで、
現在、なにが生じているのでしょう?

それから、昨年12月に訪れた「あんでるせん」でマスターに言われた
「あきらめなさい」ですが、わたしはてっきり思いを断つ意味での「諦めなさい」と
思っていましたが、「あきらめる」の元々の語源は「明らかにする」だそうで、
「諦めなさい」と「明らかにしなさい」では文字通り全く意味合いが違うので、
翻訳するとあの時マスターは「あなたの感じていることを明らかにしなさい、
わかっている人は、わかっているから」と伝えてくれたのだと、謎がまたひとつ
解けたような気持ちです。言葉とはまさに言霊です。



そして、少し前に、名前について書きましたが、
人間がこの世に生まれてきてはじめにされるのが「命名」です。
自分には経験がありませんが、多くの人は子どもに名づけるときに、
辞書で字の画数や意味をみて決めているのではないでしょうか?


その辞書(言葉)が、意図的に書き換えられているとしたら...?



さて、本題に戻って、
古い辞書に記されている本来の「私」意味とは?

余談ですが、わたしは「私」という字が昔から好きになれなくて、
文字にするときは、なるべくひらがなで書くようにしていました。
もしかしたら、直感的に何かを感じとっていたのかもしれません。


なぜならば、「私」=「嘘つき」だからです。



写真はスヤスヤとお休み中のしらたま先生。
我が輩は猫である。うらやましいかぎりです。
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# by cotomono | 2016-02-17 00:14 | Comments(0)

マニュアルへ

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よく、時間がたつのが「早い」とか「遅い」とか口にしてしまいがちですが、
自分の感覚的には、ここ1年くらいは特に時間が倍あるような感覚がしています。

簡単に言うと、1週間が2週間分ある感覚なのですが、
それは時間の長さというより、厚みが倍に膨らんでいる感じなのです。
なので、時間がたつのは普通に「早い」んだけど、瞬間的な時間のながれは
ゆっくりとしている感じがしているので、これはやっぱり、わたしの時間(軸)の
流れに何かが起きている気がします。


これは自慢でなく、ただの観察なのですが、
わたしは昔から「若く」見られます。

こないだ、熊本の美術館に川内倫子さんの写真展を観に行ったのですが、
受付で「学生さんですか?」と言われ、いやいやわたし41ですよと、
思わず苦笑いしたのですが、、、人生を振り返るとそういったことはザラで、
25くらいのとき、まだ実家で暮らしてて暇だから犬の散歩ばっかりしてた頃
見知らぬ近所の人に、あなた中学生?と言われ、いや、それはないだろう...と
さすがに少し傷ついた覚えがありますが、、、

でも見渡せば、わたしの回りにはそんな年齢不詳の人々がわらわらといて、
はっきり言って、年齢って一体なんですか?と誰かに問いたくなるのです。
(ま、わたしが気ままな独り身ってことは少なからずあるでしょうけど。。。

生まれた日から、24時間×365日(12ヶ月)=1歳とカウントするとグレゴリオ暦では
決まっていますが、そもそも、誰がそれを決めたのでしょう?

グレゴリオ暦のオートマチック車に乗り馴れてしまい、というか
最初からそれしか乗れないようにシステム化されてるだけで、
タマシイの乗り物であるこの車(身体)、本来はマニュアルで
運転できるように基本設計されています。


そんなことをぼんやり考えていたら、雲黒斎さんが「オートフォーカス」という
面白い記事をアップされていたので、リンクさせてもらいます。


ほんと、フォーカスを変えるだけで世界は違って見えます。
何度も言いますが、過去や未来という直線的な時間の概念は幻想で、
実際には「今」の連続でしかありません。

なので、わたしはこれからグレゴリオ暦で言うところの2年で1歳、
年をとることにします。。。(笑

まぁ、それは冗談ですが、
年齢なんてそろそろどうでもいいんでないでしょうか?

あなた次第、お好きにどうぞって感じでね。
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# by cotomono | 2016-02-14 23:56 | Comments(0)

わたしたちのほんとうの名前

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ー チトという名前の、たいせつないわれ。

チトというのは、どんな暦にも、どこの国にも見あたらない、へんな名前です。
こんな名前の聖人も、きいたことがありません。

ところが、みんなからチトと呼ばれる小さな男の子がいました.....。
では、その子どものことをくわしくお話しまししょう。

ある日、この子が生まれたてほやほやで、パンかごに入ったロールパンほどの
大きさしかなかったとき、長袖ドレスをきた名づけ親おばさんと、黒いぼうしを
かぶった名づけ親おじさんが、この子を教会へつれていきました。

そこでこの子は、フランソワ=バチストという名前をつけてもらいました。
赤んぼはどの赤んぼでもたいていそうですが、この子もその日はおこって、
まっ赤になって泣きわめきました。

しかしおとなには、赤んぼがなにをおこっているのか、さっぱりわかりません。
おとなは、古い考えにとじこもりたがりますから、フランソワ=バチストというのは
ほんとうにいい名前だと、勝手にきめてしまいました。

長袖ドレスのおばさんと黒いぼうしのおじさんは、それからこの子をつれて帰って、
ゆりかごに寝かせました。ところがそのとき、へんなことがおこりました。
おとなたちは、さっききめたはずの名前を、すっかりわすれてしまったのです。

というわけで、この子は、チトと呼ばれることになりました。

こんなことはめずらしくありません。市役所や教会で、アナトールだのシュザンヌ
だのアニェスだのジャン=クロードだのと、りっぱな名前をきめてもらっても、
けっしてそんなふうに呼んでもらえるとはかぎりません。
アナトールがトーラ、シュザンヌがゼト、そのほかはたぶん「ノミ」とか
「いじめっ子」とか、へんてこな名前で呼ばれるのです。

このことでもわかるように、おとなたちの考えなんてまったくでたらめなものです。
じつは、おとなたちは、わたしたちのほんとうの名前を知らないのでしょう。
それからまた、知ったかぶりはしていても、わたしたちがどこからやってきたか、
なぜ生まれてきたか、そしてこの世でなにをしなければいけないのかも、
知らないのです。

これはとてもだいじなことですから、もうすこしくわしく説明します。

もしわたしたちが、いつかおとなになるだけのために生まれてきたのなら、
頭が大きくなるにつれて、わたしたちの頭のなかには、古い考えが、
とてもかんたんに住みつきます。

古い考えは、ずいぶんむかしから、本のなかに書いてあります。
だからわたしたちが熱心に本を読んだり、また、たくさん本をよんだひとのいう
ことに注意ぶかく耳をかたむければ、かなりはやく大人になることができます。
そのほか、なににでもまにあわせることができる考え、というのもあります。
これは、いくらでもとりかえのきく考えで、とても便利なものです。

しかし、もし、とくべつの役目をおびてこの地球に生まれ、
とくべつにやらなければならない仕事があれば、そうかんたんにはいきません。
ほかのひとにはとても役にたつ古い考えでも、その子の頭のなかからは逃げて
いってしまいます。右の耳から入って左の耳へぬける。
そして、古い考えは、ころんでこわれてしまうのです。

子どもたちはこんなふうにして、まず両親の、そのつぎに、
とんでもない考えをたいせつにしているおとなたちの、度肝をぬきます。

なんの相談もなしに、いきなりチトと呼ばれるようになった、
この小さな男の子の場合も、そのとおりでした。


 ー モーリス・ドリュオン「みどりのゆび」より



::::


昨日、ふとしたことがきっかけで「みどりのゆび」を久しぶりに読み返していたら
冒頭に「名前」のことが書いてあって、ちょっとびっくりしてしまいました。
この本も何度も読んでいるはずなのに、それが目に飛び込んできたのは今回が
初めてなのでまさにタイミング、読書とはほんとうに面白いものです。


というのも、先日のお話会でキーワードとなっていたのが「名前」でした。
誰が名付けたのか、、、この世にあるすべてのものには名前があります。
人間も、赤ん坊として生まれてきてはじめにされるのが「命名」です。
名前があって、はじめてそこに命が宿るといっていいのかもしれません。

実際、名前を付けずに子どもを育てると15歳未満でみんな死んでしまうそうで、
信じる信じないはひとまず置いといて、そういうちょっと残酷な実験を、
国家としてアメリカもロシアも、そしてナチスドイツもやっていたそうです。




広島の平和の鐘に刻まれた言葉

「自己を知れ」

自己の「自」を訓読みすると「みずから」となり、
「己」は「な」とも呼べます。

つまり、翻訳すると「自らの名を知れ」と、
あの鐘はわたしたちに伝えているのです。

ちなみに、カタカムナで読み解くと「名(ナ)」は、核になります。

「核」爆弾が投下された地に刻まれた、自らの「核」を知れという言葉。
これから自分なりに紐解いてみたいと思います。


モーリス・ドリュオン「みどりのゆび」
ジャクリーヌ・デュエームの挿絵も素敵なので、
気になる方はぜひ手にしてみてください。
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# by cotomono | 2016-02-07 12:14 | Comments(0)

カタカムナで紐解くセカイ

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カタカムナ

この言葉、去年からちらほら耳に入ってきていたのですが、
こんなに早くこの日記に書くことになるとは思っていませんでした。


先日、ある非公開のお話会に参加させてもらったのですが(内容はまだ書けません)
その時に聞いたお話が、塵のように降り積もった膨大な謎を、たったひとつの
キーワードで紐解くような核心に迫った内容で、結果的にその体験がきっかけとなり
まだ遠くのほうで漂っていた「カタカムナ」を一気に引き寄せてしまったようです。


でも、振り返ってみると、わたしの中では2年くらい前からその兆候はでていて、
というのも、このわけのわからなくなっている日本社会の原因を成しているのは、
「日本語・言葉」にあるのでは?と直感的に思い、試しにこの日記を英語で書いて
みてどんな風に自分の思考が変化するのか、半年くらい実験みたいな遊びを
やっていた時期があるのですが、そうこうするうちに海外に出ることになったので
そんなことも忘れてしまっていたのですが。。。

実験結果はさておいて、、、その直感は正しかったようです。


それで、そのお話会で話し手の方に自分のこれまでを一通りお話して、
「人生とはまるで謎解きのようです」と言ったところ、

あなたの名前「素子」は、謎を解くことに関係があるんですよ!と真顔で言われ、
思わず「???」となったのですが、後日、その意味を確認したところ、

「素子=素数」

と、またキーワードのように言葉を投げかけられたので、これはやっぱり
カタカムナだな、カタカムナをやりなさいと何かが言っている気がする!

そう思い立ってカタカムナ研究家・吉野信子さんのオフィシャルサイトから
「カタカムナ48思念(言霊)表」なるものを勝手に使わせてもらい、
電卓片手に気になる言葉を片っ端から翻訳しているのですが、、


これが、すーごく面白い!!!

まるでオーダーメイドのお洋服を身につけたように、
カタカムナはわたしのフィーリングにぴったりフィットします。


ちなみに、
わたしの名前「モトコ」をカタカムナで読み解くと、

33+17+16=66
6+6=12
1+2=3

数霊3は、「実態(本当のありさま)」を意味します。


そしてもうひとつ、カバンを作るときの名前「コトモノ」は、

16+17+33+20=86
8+6=14
1+4=5

数霊5は、「伝わるモノ」を意味するのです。


ちなみに、Cotomono(コトモノ)はまだ作家活動を始める前、
それこそトイレに入っているときにパッとひらめいたんだけど(笑
「モトコ」を逆さまから読んで「コトモ」、それにノを付けて「コトモノ」
うん、いいね!ってな感じで軽く名付けたのですが、、

こうしてカタカムナで読み解くと、ちゃんとはじめから「わかって」
名前を付けている気がしてくるので、不思議です。


それから、素子(モトコ)と同意だと言われた
素数(ソスウ)をカタカムナで読み解くと、

30+21+19=70
7+0

数霊7は、「調和」を意味し、0は「そのモノ」と読み解くので、
「調和そのもの」となります。


そして、素数と同じ数霊を持った言葉がもうひとつあります。

それは、星(ホシ)


あぁ、なんてロマンティックなんでしょう〜☆
そして、こんなにワクワクするのは久しぶりです!


余談ですが、お話会から帰った深夜、、、
眠りについている時にガクッと落ちるような(ジャーキング現象)になったのですが
その瞬間「バンッ」と大きな爆発音がしたので、部屋の外で何か起きたのかと
ビックリして目が覚めたのですが、その音は、外ではなく、わたしの身体の中で
起きた音だったので、本当に、本当に、、、、ビックリしました。。




写真は、こどもの頃から大好きなカタツムリ。
この渦巻きに、宇宙を感じます。


何かに似てますね?

そう、それは渦巻き状に綴られた宇宙からのメッセージ(言霊)を伝える
「カタカムナ ウタヒ」そのものです。


カタカムナで紐解く、このセカイ。

あぁ、もう、
ワクワクするなぁ!!!
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# by cotomono | 2016-02-02 23:12 | Comments(2)

物語を紡ぐひと。

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「ソワレ」の只松さん夫妻とのことを、ちゃんとこの日記にも書いておかなくちゃ...
と思っているうちに、彼らは明日、ベルリンに旅立ちます。

ようやく仲良くなれたばかりなのに、、、と、寂しい気持ちでいっぱいですが、
彼らがドイツへの移住を決めていたからこそ出会えたのだと思うし、彼らとは
「これから」を予感させる不思議な縁を感じています。


はじめ、彼らとの縁をもってきてくれたのは友人で絵描き人のoshowでした。
oshowがちょうど独立するときだったので、たぶん2013年かな...?

ソワレオリジナルの文房具をoshowがデザインすることになって、
その文房具を入れて歩くカバンを作りませんか?というお話だったと思うのですが、
いま振り返るとすごくワクワクする企画なのだけど、、、

ちょうどその頃、わたしは「つくること」が本当に分からなくなってしまっていて、
つくることをやめようとすら思っていた時期だったので、そのときのわたしでは、
独立したてのoshowのモチベーションを下げることにもなりかねないなと思い、
ソワレのお二人とは会わずに、お断りしたのでした。

その後、2013〜14年にかけて自分自身を再構築しながら、まずはわたしが
「やるべきこと」を最優先でやってきました。

そうこうしているうちに大きな出会いがあり、まるで予め決まっていたことのように
去年、3ヶ月に渡りドイツに暮らし、展示会までさせてもらい、カバンを通じて、
本当にたくさんの出会いと経験に恵まれました。

そして、大げさなことを言えば、わたしはドイツ滞在の3ヶ月で、
一度、死んで、もう一度、生きはじめました。

人間は、物質としての死は一度の転生につき一度しか経験しませんが、
魂としてのそれは、何度も何度も繰り返すのだと思います。


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ドイツから帰国後しばらくして、ソワレのお二人に会うことができました。
きっかけとなったのは、イラストレーターのムツロマサコさんとの出会いです。

実は、ドイツ滞在の最後の10日間、日本から「tsumugi」の日菜さん夫婦が遊びに
来てくれて、彼女がドイツの展示会のお祝いにと、ムツロさんが作ってくれた
cotomonoの箱に「ほいあん堂」さんのお菓子を入れてプレゼントしてくれました。

その箱をもらったときわたしは空っぽの状態で、もう何も生み出せないかもなぁと
ちょっと放心状態だったのですが、ムツロさんが作ってくれた不思議な色合いの紙で
切り貼りされた「カバン」を眺めているうちに、あぁ、こんなカバンが作りたいなぁと素直に思えたのです。

そして、ドイツから帰国後ほどなくして、ある場所で彼女と偶然出会うことになり、
その場で箱のお礼を伝え、良かったら一緒に作りませんか?と声を掛けました。

それがきっかけで一気に仲良くなったわたしとムツロさんは、
一緒にゴハンを食べたり小旅行をしたり、そして彼女が企画で参加していたソワレの
手帳と服の展示会「the-dress-bridge」にも一緒に出掛け、
わたしはようやく、只松さんと友美さんに会うことができたのです。

それからはまるで魔法がかかったかのように、思っていることがすごいスピードで
カタチになっていきました。まるでミラクルです。
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去年12月の展示会ではムツロさんとコラボかばんが作れただけでも幸せなのに、
わたしの急なリクエストに応えてくれて、只松さんがそのカバンたちに小さな物語を
書いてくれました。それも展示会の2日前という、神業。。

今回、ムツロさんとのコラボかばんは、白と黒とふたつ出しましたが、
実はもう1点制作していました。でも、なんというか、作為的になってしまい
エゴが見え隠れするものになってしまったので、最終的に出すのはやめました。

でも、何かが足りない。。。

そう思っていたところに、只松さんの物語が入ってくれたことで、
絵とかばんと、物語とが、パズルのピースがぴたりと揃うかのように、
新しい物語がそこに姿を現したのです。


そして幸運なことに、このふたつのカバンは只松さんたちと一緒に
ベルリンに旅立つことになりました。

ベルリンに再開される新しい「ソワレ」に、このカバンが置いてあるとこを
想像するとワクワクします。連れて行ってくれて本当にありがとう。

そして、ベルリンではわたしの友人であるPeterともすぐ会えるようで、
出会いが出会いを呼ぶ、そんな不思議な縁を感じずにはいられません。


只松さん、友美ちゃん、元気でいってらっしゃい。
ドイツを舞台に、ふたりの新しい物語が紡がれるのを楽しみに、
遠くから応援しています。

そして、また会いましょう。
願わくは、ベルリンで...

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最後に只松さんが紡いでくださった物語「彼女のカバン」
こちらにてご紹介させていただきます。
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# by cotomono | 2016-01-24 20:00 | Comments(0)