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できました。

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昨晩から半ぶん徹夜、今日の夕方までかかってすべての修正が完了。
明日はカメラのS宅で朝から物撮りしてもらうので、
なんとか今日中に収まってくれて、よかった、、、

取手のレザー部分の厚みが足りなくて、急遽十分な厚みのレザーに取り替えたり
不安定な構造部分を補強するのに、糸を解いて作り直したり、
最後の最後になかなかハードな作業が待っていようとは、、、
それを作ってる最中は思いもしなかったけど、
最後まで妥協せずにやり直すことができて、本当によかった。



昨夜、作業をしていると神楽坂からメールが届いた。
個展を楽しみに待ってくれていること、
それから、カバンがひとつ売れたとのうれしい知らせも。

今年の1月に納品したカバン5点のうち、2点はすぐに売れたけど、
残り3点は半年を過ぎてもなかなかでなかった。

動かないものを長らく置いて頂くのは申訳ない気持ちもあって、
値引きしてくださいとこちらからお願いしたことがあった。
でも、「それはしません」とオーナーの貞さんはおっしゃった。
ありがたかったけれど、心苦しさでいっぱいになった。


それから、ずっと考えてきた。
すぐに売れたものと、未だに売れないものの違いはなんだろう?、、、と。

作品のひとつひとつ、素材、デザイン、制作と
作っているときはその時点のベストを尽くしている。

でも、それをより多くの方に支持して頂けるような「商品」にするためには、
それだけでは、たぶんダメなのだ。

「作家のストーリーは、後付けでいい。」
こないだ、maruのRさんが言ってたことを思い出す。


個人的な作品を、より他者に届く商品にするためにはどうすべきか?
それをとことん考えた4ヶ月間だった。

そんな、一歩進んでは二歩下がりな試行錯誤のなかで気がついたのは
ただ、技術的な未熟さと、ねばりきれない精神的な弱さだった。





夕方、植木鉢を預けに月麦のひなさんところへ。
一週間家を空けるので、水が大好きなワイヤープランツを枯らしかねない、、、
猛暑に負けず、月麦畑で元気に過ごしてね〜
それから、個展に展示するシルクスクリーンのフィルムパターンを借りに
メッシュの平川さんところへ。



「どうですか?」と、おふたりに尋ねられ、

「できました。」と、わたしは笑顔で答えた。
# by cotomono | 2010-08-21 21:34

あと、一歩だけ

あと、一歩だけ_a0072072_0102077.jpg



ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道程を
ほんとは「自分」っていうらしい

ねぇ ぼくらが夢みたのって
誰かと同じ色の未来じゃない
誰も知らない世界へ向かってゆく
勇気を「未来」っていうらしい


世界中に溢れてるため息と
きみとぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ

あと、一歩だけ
前に進もう

Progress / suga shikao




ずっと見ないふりをしていた、
ひとつ、ふたつ、みっつ、、、

まだまだでてくる妥協の数々。


それと向き合うための、重なるコストと膨大な修正をまえに
もう、このままいっちゃおうかとも思ったけど、、、

妥協の先にあるものは、一体なんだろう?


いいわけ、取り繕い、後ろめたさ、、、

挙げ句の果ては、
「こんなの、ほんとうのわたしじゃない」って?




いやいやいや、、、



あと、一歩だけ、
もう、一歩だけ、

がんばろう、がんばろう。
# by cotomono | 2010-08-21 00:55

ながぐつ工房と足養生

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着物屋さんの帰り際、
本日の納品先だった、超高級介護付き老人ケアマンションの話しをFさんから聞き、
なんというか、想像さえつかない老後の世界にただ笑うしかなかったけど、、、
一体全体、お金って、なんでしょうね〜、、、

みうらじゅん先生によると、瞑想が大事だそうです(笑

さ、先のことより、目の前のめいそうめいそう、、、




というわけで、いろいろ、耳よりなお知らせです。


ティモールの色を感じるワークショップ
ティモールのボティ村から届いた手織りの布
家事、農作業のあいまを縫って、女性たちが織ったもの
土の、植物の、太陽の匂いのする布をとおして、あなたが感じたことを絵で表します

8月23日10時からお一人60分程度。12時台はお昼休みです。


八田麻理子(はったまりこ)
17年間インドネシアとかかわる
ながぐつ工房主宰
自然とつながるアート教室のホームページ:
http://sites.google.com/site/nagagutsuart/


まりこさんとは、こないだRさん家にふらりとお邪魔したときに出会いました。
きらきらしてて、いっぺんで好きになりました。
インドネシアのバティックや、東ティモールの奥地まで生地を尋ね歩いたことなど
興味深い話しを聞かせてくれました。
わたしにはない世界観があって、まりこさん、おもしろかったなぁ。

つづいて、

足つぼ養生 Despacioさん

Despacioは、デスパースィオと読むスペイン語です。
直訳で、ゆっくり、ゆったり、少しずつという意味です。
現代社会は、速さ、安さ、利益が先立って求められ、
色々な分野で本来の質を失いつつあると思います。

我々Despacioでは、ゆっくりとした動きの中こそ、確実に一人ひとりが求める、
健康感・幸福感があると確信しています。

簡単にモノが手に入る世の中ですが、
本当に大切なものは手に入れるまでに時間がかかるものです。

ご縁が合った皆様に、ゆっくり・じっくり・確実に…
それぞれのしあわせを自分の中で育てて頂くお手伝いができればと思います。



わたしもお世話になったことのある、Despacioさん。
住吉神社のほど近くのマンションで、足つぼのマッサージをされてあります。
スタッフのHさん、Tさんとお話するだけで、わたしなんかは充分癒され元気になってます。

8月いっぱい、50分/5000円→3000円
キモチの良い足つぼマッサージを体験してみてください。ぜひぜひ!
# by cotomono | 2010-08-18 20:27

可能性と、失敗と、

可能性と、失敗と、_a0072072_16492893.jpg

夕方になって、ようやく涼しい風が吹いてきた。
しかし、今日もほんとに暑い一日だったなぁ、、、
首に保冷剤巻いて、水浴び2回して、なんとかやり終えた。


でも、やっぱり最後までスムーズに事が運ぶことはなく、
イメージどおりにやってはみたものの、取り返しのつかない事態に
一旦は匙を投げてしまい、気分転換に外へ出る。

郵便局で保険の支払いをしたり、スーパーですいかを選んでるあいだもずっと、
自分でやらかした取り返しのつかなさから離れられず、
あぁ、なんでわたしはこんなことをはじめてしまったんだろう、、、と
身も蓋もないことを思いはじめる。

部屋に戻っても、投げられた匙はそのまんま床に転がっていて
一向に、拾われる気配はない。


あたりまえだ。

それを拾えるのは、わたしの他、
誰もいないのだから。


それから、杭きりを持ち出して慎重に金具を切り離していく。
空けてしまった穴は元どおりという訳にはいかないけれど、
塞ぐ方法がないわけではない。

いつかの失敗が、役にたった。
でも、もうちょっと、ちゃんと作れたはずだった。
そんな心残りを塞ぐことはできなかった。





可能性と、失敗とは、
いつもおんなじ場所にある。

だから、どちらも自分で引き受けるほかないのだな。
# by cotomono | 2010-08-16 17:43

父の絵本

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制作が追い込みではあるけど、やっぱりお盆は大切なもの。
昨日、一昨日と実家へ帰り、お墓参りと田舎のおばあちゃんに会いに。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らした経験のないわたしにとって、
その存在はずっと遠いものだったけど、年を重ねるにつれ、
その存在がだんだんと大きなものになってゆくから、不思議。

とくに、おじいちゃん。
父方も母方も、生きているときはどんな会話をしたかも覚えていないけれど、
歩むべき道がみえなくなったとき、心のなかで問いかけるのは、
いつも、おじいちゃんだ。


おじいちゃんが、わたしにとって遠い存在だったように、
わたしにとって父は、ずっと近寄りがたい存在だった。
そこに、愛がなかったわけでは決してない。
愛があるからこそ、難しかったのだ。



一昨日の晩、母と着物話しで盛り上がってるとき、
「これ、みて!」と子どものような顔をして、父がわたしに数冊の絵本をみせてきた。

白雪姫、アンパンマン、
そして、わたしも大好きな荒井良二さんの『ピンポーン』
そのすべてを、父が書き(描き)写したのだ。


父はいま、弱視の子どもたちのために、
絵と文章を大きくした写本のボランティアを仲間たちとやっていて、
そのことは1年前から知っていたんだけど、ようやくそれがカタチとなったのだ。
写本といっても、弱視の子どもたちにとってはそれが実際目にし手にする絵本。

きっちり1.5cm枠に整えられた丁寧な文字、色鉛筆で光と影までを表現した絵、
それから、ページをめくりたくなるような構図。
そして、それを作り上げるまでの苦労や工夫、喜びを表現する父。

そのひとつひとつに、心が溢れていて胸が熱くなった。
わたしの扶養者であったときには知り得なかった父がそこにはあった。




定年までの30年間、社会福祉の仕事に従事てきた父。
それは、父の父が敷いた道であり、父が自ら選んだものではなかった。
でも、それを懸命に歩き、自らの道にしてきたのは父だ。



すごいね、すばらしいね。
おとうさんは、ずっと、つづいてきたんだね。
# by cotomono | 2010-08-14 22:47