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μεταφυσικά

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> 12.OCT.1998

形而上の思考が快なのは、休息に似ている
自我による思考が不快なのは、労働に似ている

形而上は快である
形而上はそれ自体が快である
それは自分であることである
戻れば常にそこに在る

形而上を考えるのは、自分の家へ帰るのに似ている


[ リマーク1997−2007: 池田晶子 ]


::

形而上とは、、、
1.形をもっていないもの。
2.感性的経験では知り得ないもの。有形の現象の世界の奥にある、究極的なもの。


不思議だなぁ、、、
いつもカバンというカタチをつくりながら、
カタチをもっていないもののことを思っている。

あぁ、お家へ帰りたいよ。
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by cotomono | 2016-09-16 22:49 | Comments(0)

もののケのしおり

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お友達に教えてもらいました。
これはご紹介せずにはいられないので、リンクを貼ります。

もののケのしおり
ポータル全開、すごい子どもが地球に転生してきているようですね。
ダイレクションに宇宙とつながっています。


波動とはならず地球での生を語ってみる。
鏡の向こうとお話しながら生命の起源を語ってみる。


すごいなぁ、、、もう言葉になりません。
ただただ、聞き入ってしまいます。

もうわたし、こんな話を永遠にしてたいです。笑
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by cotomono | 2016-09-08 23:55 | Comments(0)

それを想像することが創造なのだ。

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熊本はorangeさんでの展示会、無事に終えることができました。
お力添えいただいた皆さんに、心から感謝いたします。

展示期間中のあれこれはこちらにアップしていますので
この日記に詳しくは書きませんが、少し先で振り返ったとき、
あのときの熊本がターニングポイントだったな、と思うような時間でした。

というのも熊本へ入る数日前からちょっとした胸のざわつきがあって、
それまで全く空白であった「これから」のことが頭に浮かぶようになっていました。
ですが、orangeさんでの展示が終わるまでは何も考えないでいよう、
終わるころには答えがでているだろうと、そのざわつきにはあえて反応せず
この瞬間瞬間をただ味わい楽しむことだけやっていたら、本当にそのとおり、
自然と答えが出ていました。


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さて、展示期間中のことは書かないとさっき書いたばかりですが、ひとつだけ、
坂口恭平さんのことを。

初めて坂口さんのお名前を耳にしたのは、たしか5年前。
ちょうど熊本で展示会をできる場所を探していて、当時色々とお世話になっていた
熊本出身のある方に「熊本でどこか、だれか面白いところはありませんか?」と
聞いたところ「orangeと坂口恭平くん」と速攻で返ってきました。

それからorangeさんへと至まではここに改めて記すまでもありませんが、
それ以来、坂口さんのことはご自身のTwitterや色んな媒体で目にするようになり、
ずっと気になる存在でした。ここ最近はorangeのカフェでも執筆されている
ご様子だったので、展示期間中お会い出来るかな?と思ってたら、ちょうど最終日に
一番奥の席でパソコンに向かっておられる坂口さんと遭遇する幸運に恵まれました。
橙書店で買ったばかりの「家族の哲学」にサインをしていただいたついでに、
ほんの少しだけお話しさせてもらったのですが、湖面のように静かで深く透明な目を
しておられ、ちょっと不思議な感覚になったのですが、あの目はどこかで見覚えが
あるなぁと思い返していたところ、去年ドイツの田舎で暮らしてたとき森で遭遇した
野生の鹿の目と同じ光りがありました。


わたしはそんなに読書家でもなく、これまで読んだ本の中でと言えるほどものでは
ありませんが、、、

本を読んで泣いたのはミヒャエル・エンデのモモと、
いしいしんじの麦ふみクーツェと、
坂口恭平の「家族の哲学」、この3冊だけです。

最後に、勝手ながら一節をご紹介させていただきます。



はっきりと言おう。
この世界は可能性で満ちている。そこに意味など求めないかぎりは。
私は私の仕事だけを徹底して実践していく。それだけが喜びなのだ。
それができればもう死んでもいいのである。
統合された人間というものを想像することこをが罪なのだ。
そんなものが存在していると理解したところで、誰が幸福になりえるのか。

幸福とは、あなたが動いているということだ。機能を持っていることだ。
機能さえあればいいではないか。統合した人間らしさというものを私は認めない。
人間はそういうものではない。植物を見ればそれがすぐにわかる。

人間を、何かの役に立たせる、などという妄想が作り出した社会という名の監獄
からの目で見たくないのだ。それでいい、とすべてをよしとするような母性の視線で
私は見守っていたい。

まったく別の空間にも自分が存在すると分かったら、何が起きると思う?

それを想像することが創造なのだ。
自分の手で何かを作りだすことを創造と呼ぶな。
それはこのすでにある世界の役に立つことである。

見えないその自分の体の動きにこそ耳をすませよ。
それを伝えることが私の仕事だ。しかも、私は他者を介してしか行うことが
できない。他者はだからこそ存在している。だから私はまだ見ぬ家族を、
その他者の中に見つけようと試みるのだ。
それが幸福だ。幸福は見えぬが、香りを放っている。

周りを見まわしなさい。幸福はすでに他者の体の動きの中にしっかりと
具現化されてる。そうやって日常を見てみろ。何が訪れる?

日光だけが照らしていると思うな。
己の眼を忘れるな。
あなたがたには、私の言葉が聞こえているか?

ー 坂口恭平「家族の哲学」より

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by cotomono | 2016-09-03 02:02 | Comments(0)