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「私」

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自分のことを名前で呼ばなくなったのはいつからだろう?
そして、自分のことを名前ではなく「私」と言うようになったのは?

はっきり覚えていないけど、幼稚園に行く頃にはもう自分のことを
「私」と呼んでいた気がします。いや、もしかしたらもっと早かったかも...
いわゆる自我の目覚めの頃にはすでに「私」になっていたのかも。

それから今日に至るまで、何の疑問も持たずに、
ずーと「私」で生きてきたわけですが...

仮にこの日記を書くのに「私」という表現を使わずに書こうとすると、
とても困るというか、正直うまく書けないわけで、
でも、心の中で何かをつぶやいているときには「私」という意識はなく、
こうして、他者(社会)に対して発するときに「私」がでてくるわけです。

ちなみに、私の意味を現在の辞書で引くと
「私」と「公」は相対関係にあることが記されています。


さて、ここからが本題です。

現在の辞書(例:広辞苑)の言わば親にあたる
古い辞書で「私」を引いてみると、現在使われている意味とは
全く違う意味が記されています。



「私」に限らず、古い辞書と現在の辞書を見比べると、明らかに現在の辞書は
本来の言葉の意味を割愛したり意図的に省略していて、それどころか
本来の言葉の意味(言霊)のエッセンスを消し去っている節さえあります。

では、いつ誰がなぜ、そうしたのでしょう?


例えば、よく「体を鍛える」という表現をしますが、
なぜ、鍛える必要があるんだろう?とずっと不思議に思っていたのですが、
「体」という字には、本来「劣る」という意味があるそうです。
ちなみに、旧字で「からだ」は、骨偏に豊の「體」であり、こうして見ると
あぁ、本来からだって豊かでありぜんぜん弱いイメージは湧いてきません。

劣ると意味付けされた字、「体」を使うことで、
現在、なにが生じているのでしょう?

それから、昨年12月に訪れた「あんでるせん」でマスターに言われた
「あきらめなさい」ですが、わたしはてっきり思いを断つ意味での「諦めなさい」と
思っていましたが、「あきらめる」の元々の語源は「明らかにする」だそうで、
「諦めなさい」と「明らかにしなさい」では文字通り全く意味合いが違うので、
翻訳するとあの時マスターは「あなたの感じていることを明らかにしなさい、
わかっている人は、わかっているから」と伝えてくれたのだと、謎がまたひとつ
解けたような気持ちです。言葉とはまさに言霊です。



そして、少し前に、名前について書きましたが、
人間がこの世に生まれてきてはじめにされるのが「命名」です。
自分には経験がありませんが、多くの人は子どもに名づけるときに、
辞書で字の画数や意味をみて決めているのではないでしょうか?


その辞書(言葉)が、意図的に書き換えられているとしたら...?



さて、本題に戻って、
古い辞書に記されている本来の「私」意味とは?

余談ですが、わたしは「私」という字が昔から好きになれなくて、
文字にするときは、なるべくひらがなで書くようにしていました。
もしかしたら、直感的に何かを感じとっていたのかもしれません。


なぜならば、「私」=「嘘つき」だからです。



写真はスヤスヤとお休み中のしらたま先生。
我が輩は猫である。うらやましいかぎりです。
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by cotomono | 2016-02-17 00:14 | Comments(0)

マニュアルへ

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よく、時間がたつのが「早い」とか「遅い」とか口にしてしまいがちですが、
自分の感覚的には、ここ1年くらいは特に時間が倍あるような感覚がしています。

簡単に言うと、1週間が2週間分ある感覚なのですが、
それは時間の長さというより、厚みが倍に膨らんでいる感じなのです。
なので、時間がたつのは普通に「早い」んだけど、瞬間的な時間のながれは
ゆっくりとしている感じがしているので、これはやっぱり、わたしの時間(軸)の
流れに何かが起きている気がします。


これは自慢でなく、ただの観察なのですが、
わたしは昔から「若く」見られます。

こないだ、熊本の美術館に川内倫子さんの写真展を観に行ったのですが、
受付で「学生さんですか?」と言われ、いやいやわたし41ですよと、
思わず苦笑いしたのですが、、、人生を振り返るとそういったことはザラで、
25くらいのとき、まだ実家で暮らしてて暇だから犬の散歩ばっかりしてた頃
見知らぬ近所の人に、あなた中学生?と言われ、いや、それはないだろう...と
さすがに少し傷ついた覚えがありますが、、、

でも見渡せば、わたしの回りにはそんな年齢不詳の人々がわらわらといて、
はっきり言って、年齢って一体なんですか?と誰かに問いたくなるのです。
(ま、わたしが気ままな独り身ってことは少なからずあるでしょうけど。。。

生まれた日から、24時間×365日(12ヶ月)=1歳とカウントするとグレゴリオ暦では
決まっていますが、そもそも、誰がそれを決めたのでしょう?

グレゴリオ暦のオートマチック車に乗り馴れてしまい、というか
最初からそれしか乗れないようにシステム化されてるだけで、
タマシイの乗り物であるこの車(身体)、本来はマニュアルで
運転できるように基本設計されています。


そんなことをぼんやり考えていたら、雲黒斎さんが「オートフォーカス」という
面白い記事をアップされていたので、リンクさせてもらいます。


ほんと、フォーカスを変えるだけで世界は違って見えます。
何度も言いますが、過去や未来という直線的な時間の概念は幻想で、
実際には「今」の連続でしかありません。

なので、わたしはこれからグレゴリオ暦で言うところの2年で1歳、
年をとることにします。。。(笑

まぁ、それは冗談ですが、
年齢なんてそろそろどうでもいいんでないでしょうか?

あなた次第、お好きにどうぞって感じでね。
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by cotomono | 2016-02-14 23:56 | Comments(0)

わたしたちのほんとうの名前

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ー チトという名前の、たいせつないわれ。

チトというのは、どんな暦にも、どこの国にも見あたらない、へんな名前です。
こんな名前の聖人も、きいたことがありません。

ところが、みんなからチトと呼ばれる小さな男の子がいました.....。
では、その子どものことをくわしくお話しまししょう。

ある日、この子が生まれたてほやほやで、パンかごに入ったロールパンほどの
大きさしかなかったとき、長袖ドレスをきた名づけ親おばさんと、黒いぼうしを
かぶった名づけ親おじさんが、この子を教会へつれていきました。

そこでこの子は、フランソワ=バチストという名前をつけてもらいました。
赤んぼはどの赤んぼでもたいていそうですが、この子もその日はおこって、
まっ赤になって泣きわめきました。

しかしおとなには、赤んぼがなにをおこっているのか、さっぱりわかりません。
おとなは、古い考えにとじこもりたがりますから、フランソワ=バチストというのは
ほんとうにいい名前だと、勝手にきめてしまいました。

長袖ドレスのおばさんと黒いぼうしのおじさんは、それからこの子をつれて帰って、
ゆりかごに寝かせました。ところがそのとき、へんなことがおこりました。
おとなたちは、さっききめたはずの名前を、すっかりわすれてしまったのです。

というわけで、この子は、チトと呼ばれることになりました。

こんなことはめずらしくありません。市役所や教会で、アナトールだのシュザンヌ
だのアニェスだのジャン=クロードだのと、りっぱな名前をきめてもらっても、
けっしてそんなふうに呼んでもらえるとはかぎりません。
アナトールがトーラ、シュザンヌがゼト、そのほかはたぶん「ノミ」とか
「いじめっ子」とか、へんてこな名前で呼ばれるのです。

このことでもわかるように、おとなたちの考えなんてまったくでたらめなものです。
じつは、おとなたちは、わたしたちのほんとうの名前を知らないのでしょう。
それからまた、知ったかぶりはしていても、わたしたちがどこからやってきたか、
なぜ生まれてきたか、そしてこの世でなにをしなければいけないのかも、
知らないのです。

これはとてもだいじなことですから、もうすこしくわしく説明します。

もしわたしたちが、いつかおとなになるだけのために生まれてきたのなら、
頭が大きくなるにつれて、わたしたちの頭のなかには、古い考えが、
とてもかんたんに住みつきます。

古い考えは、ずいぶんむかしから、本のなかに書いてあります。
だからわたしたちが熱心に本を読んだり、また、たくさん本をよんだひとのいう
ことに注意ぶかく耳をかたむければ、かなりはやく大人になることができます。
そのほか、なににでもまにあわせることができる考え、というのもあります。
これは、いくらでもとりかえのきく考えで、とても便利なものです。

しかし、もし、とくべつの役目をおびてこの地球に生まれ、
とくべつにやらなければならない仕事があれば、そうかんたんにはいきません。
ほかのひとにはとても役にたつ古い考えでも、その子の頭のなかからは逃げて
いってしまいます。右の耳から入って左の耳へぬける。
そして、古い考えは、ころんでこわれてしまうのです。

子どもたちはこんなふうにして、まず両親の、そのつぎに、
とんでもない考えをたいせつにしているおとなたちの、度肝をぬきます。

なんの相談もなしに、いきなりチトと呼ばれるようになった、
この小さな男の子の場合も、そのとおりでした。


 ー モーリス・ドリュオン「みどりのゆび」より



::::


昨日、ふとしたことがきっかけで「みどりのゆび」を久しぶりに読み返していたら
冒頭に「名前」のことが書いてあって、ちょっとびっくりしてしまいました。
この本も何度も読んでいるはずなのに、それが目に飛び込んできたのは今回が
初めてなのでまさにタイミング、読書とはほんとうに面白いものです。


というのも、先日のお話会でキーワードとなっていたのが「名前」でした。
誰が名付けたのか、、、この世にあるすべてのものには名前があります。
人間も、赤ん坊として生まれてきてはじめにされるのが「命名」です。
名前があって、はじめてそこに命が宿るといっていいのかもしれません。

実際、名前を付けずに子どもを育てると15歳未満でみんな死んでしまうそうで、
信じる信じないはひとまず置いといて、そういうちょっと残酷な実験を、
国家としてアメリカもロシアも、そしてナチスドイツもやっていたそうです。




広島の平和の鐘に刻まれた言葉

「自己を知れ」

自己の「自」を訓読みすると「みずから」となり、
「己」は「な」とも呼べます。

つまり、翻訳すると「自らの名を知れ」と、
あの鐘はわたしたちに伝えているのです。

ちなみに、カタカムナで読み解くと「名(ナ)」は、核になります。

「核」爆弾が投下された地に刻まれた、自らの「核」を知れという言葉。
これから自分なりに紐解いてみたいと思います。


モーリス・ドリュオン「みどりのゆび」
ジャクリーヌ・デュエームの挿絵も素敵なので、
気になる方はぜひ手にしてみてください。
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by cotomono | 2016-02-07 12:14 | Comments(0)

カタカムナで紐解くセカイ

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カタカムナ

この言葉、去年からちらほら耳に入ってきていたのですが、
こんなに早くこの日記に書くことになるとは思っていませんでした。


先日、ある非公開のお話会に参加させてもらったのですが(内容はまだ書けません)
その時に聞いたお話が、塵のように降り積もった膨大な謎を、たったひとつの
キーワードで紐解くような核心に迫った内容で、結果的にその体験がきっかけとなり
まだ遠くのほうで漂っていた「カタカムナ」を一気に引き寄せてしまったようです。


でも、振り返ってみると、わたしの中では2年くらい前からその兆候はでていて、
というのも、このわけのわからなくなっている日本社会の原因を成しているのは、
「日本語・言葉」にあるのでは?と直感的に思い、試しにこの日記を英語で書いて
みてどんな風に自分の思考が変化するのか、半年くらい実験みたいな遊びを
やっていた時期があるのですが、そうこうするうちに海外に出ることになったので
そんなことも忘れてしまっていたのですが。。。

実験結果はさておいて、、、その直感は正しかったようです。


それで、そのお話会で話し手の方に自分のこれまでを一通りお話して、
「人生とはまるで謎解きのようです」と言ったところ、

あなたの名前「素子」は、謎を解くことに関係があるんですよ!と真顔で言われ、
思わず「???」となったのですが、後日、その意味を確認したところ、

「素子=素数」

と、またキーワードのように言葉を投げかけられたので、これはやっぱり
カタカムナだな、カタカムナをやりなさいと何かが言っている気がする!

そう思い立ってカタカムナ研究家・吉野信子さんのオフィシャルサイトから
「カタカムナ48思念(言霊)表」なるものを勝手に使わせてもらい、
電卓片手に気になる言葉を片っ端から翻訳しているのですが、、


これが、すーごく面白い!!!

まるでオーダーメイドのお洋服を身につけたように、
カタカムナはわたしのフィーリングにぴったりフィットします。


ちなみに、
わたしの名前「モトコ」をカタカムナで読み解くと、

33+17+16=66
6+6=12
1+2=3

数霊3は、「実態(本当のありさま)」を意味します。


そしてもうひとつ、カバンを作るときの名前「コトモノ」は、

16+17+33+20=86
8+6=14
1+4=5

数霊5は、「伝わるモノ」を意味するのです。


ちなみに、Cotomono(コトモノ)はまだ作家活動を始める前、
それこそトイレに入っているときにパッとひらめいたんだけど(笑
「モトコ」を逆さまから読んで「コトモ」、それにノを付けて「コトモノ」
うん、いいね!ってな感じで軽く名付けたのですが、、

こうしてカタカムナで読み解くと、ちゃんとはじめから「わかって」
名前を付けている気がしてくるので、不思議です。


それから、素子(モトコ)と同意だと言われた
素数(ソスウ)をカタカムナで読み解くと、

30+21+19=70
7+0

数霊7は、「調和」を意味し、0は「そのモノ」と読み解くので、
「調和そのもの」となります。


そして、素数と同じ数霊を持った言葉がもうひとつあります。

それは、星(ホシ)


あぁ、なんてロマンティックなんでしょう〜☆
そして、こんなにワクワクするのは久しぶりです!


余談ですが、お話会から帰った深夜、、、
眠りについている時にガクッと落ちるような(ジャーキング現象)になったのですが
その瞬間「バンッ」と大きな爆発音がしたので、部屋の外で何か起きたのかと
ビックリして目が覚めたのですが、その音は、外ではなく、わたしの身体の中で
起きた音だったので、本当に、本当に、、、、ビックリしました。。




写真は、こどもの頃から大好きなカタツムリ。
この渦巻きに、宇宙を感じます。


何かに似てますね?

そう、それは渦巻き状に綴られた宇宙からのメッセージ(言霊)を伝える
「カタカムナ ウタヒ」そのものです。


カタカムナで紐解く、このセカイ。

あぁ、もう、
ワクワクするなぁ!!!
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by cotomono | 2016-02-02 23:12 | Comments(2)