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to visualize

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放射能汚染を可視化すると、物を言わないはずの植物や魚が静かに語りかけてくる

私たちは、放射能は目に見えないものだと思い込んでいますし、
もちろん肉眼で見ることはできません。
しかし、あらゆる問題が現在進行形であることを、
もの言わぬフキや鯉や軍手の像が静かに、しかし強く伝えてきました。



この写真をみてすぐ、石内都さんが撮った「ひろしま」の少女たちが纏っていた
衣服のことが目に浮かびました。
真実を告白する美しさがあり、わたしにはどちらも同じに見えます。



見えるものだけをみて、見たいものだけで視野を覆われる世界は心地よく、
でも、目隠しされたような息苦しさを感じるのはわたしだけでしょうか?


インターネットの画面の上で、どれだけ色鮮やかに世界が見渡せたとしても、
可視化できないものへの想像力を失った世界では、

それはひどく、色褪せて見えます。
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by cotomono | 2015-02-28 22:37 | Comments(0)

a great find

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ドイツ滞在中、ベアのママのミシンを借りて何か作ろーとゆるく考えていたけど
展示会をさせてもらうギャラリーの意向もあり、もっとちゃんと制作する流れに。

しかし、そうなるとミシン以外の道具一式をドイツに送る必要があり、
それも大変だから現地で調達しようかしらとピーターに相談したところ、
それはほとんど無理だねというお返事。。。

つまり、それは日本では珍しくもないわたしみたいなクラフトワーカーが
ドイツではわりかしレアな存在だということ。

それについて、マイナスなイメージをはじめのうちは抱いていたのだけど、
よくよく考えてみると、これは私にとって非常にラッキーな環境なのかもしれない。

だって言葉は悪いけど、敵がいない独壇場なわけで、
欧州でも、イタリアやフランスではこうはいかないかもしれないし、
ドイツはプロダクトの国だから、ここはそういう意味で穴場なのかもしれない。

そう思うと、俄然やる気が湧いてくるワタクシ。。。


そもそも、私がなんでいま日本の外でカバンを動かそうとしているのかというと、
日本にこのままいても生き残れるイメージがしないから。

私にとってカバン(自己表現)は、生存するためのひとつの方法なので、
生きられるイメージがする場所でそれを動かさないと意味がない。

日本がダメなわけではない、でも、イメージが何も見えないのだ。

私にとって、イメージが見えるとことは大事。
でも、同じくらい、イメージが見えないという感覚も大事で、
それを無視して動いていたら、私は自滅する。
これは私の生き物としての直感。

ドイツにはっきりとイメージが見えているわけではない。
でも、日本にイメージが見えないのであれば、外に出るしかない。

これが、いまの私の明確なイメージ。


そういえば、ドイツでの展示会の際、英語の苦手な私の通訳をしてくださることに
なった日本人の方は、若き陶芸家だ。(ちなみにピーターの陶芸の先生)

特に陶器の産地というわけでもない、ドイツの一都市で、なぜ彼は陶芸を
やっているのだろう?しかもお城で。。すごく興味深い。
もしかしたら、彼にとってもそこは穴場だったのかもしれない。


いづれにせよ、「それ」をどう動かすのかをイメージできれば、
もはや国なんて、どこだっていいのだ。


ふふふ、、、面白くなって参りましたよ。
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by cotomono | 2015-02-24 21:37 | Comments(0)

fair

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さて、ドイツ滞在のいちばんのチャレンジである展示会ですが...

ピーター曰く、日本に比べ一般的にドイツ人は手工芸(クラフトワーカー)に対する
理解が低いそうで、それについてピーターはドイツの恥だと言ってくれるのですが、
やはりドイツは偉大なるプロダクトデザインの国。
もちろん私は、バウハウスをはじめその影響を強く受けきたので、それに対して
異議申し立てをするつもりは毛頭ないのですが。。。

そんな中、私(カバン)に興味を示してくれるショップやギャラリーがあるのは
あるのですが、基本的に量産ができないone and onlyは、彼らにとっては
マイナス要因であり、プライスダウンを要求されることもあり調整は難航。
でも、ピーターが頑として「あなたは安売りするべきではない」と強気の姿勢を
とってくれたおかげで、結果的に、私にとってベストな環境が用意されました。
それも2つも。。。 it's so amazing!!!

ひとつは作家性や芸術性を要するArtist-in-residence program対応の
non commercialなギャラリー。そしてもうひとつはデザインショップ。
こちらは、シルバーマダムが営むお店で顧客をしっかり持っているそう。
どちらもシュトゥットガルトにあって、まだ少し調整が必要ですが、それは
私にとって全く申し分ない条件。


その他にも、彼らはいろんなサポートを私に与えてくれるのですが、
そのベースにあるのは、他者に対するimaginationとresponsibility

そして、それを支えているのは、日々のresponseの積み重ねでしかなく、
自分の考えを正直に伝え、理解してもらえるよう手をかけること。
それを面倒くさいと軽く扱えば、それはそのまま自分に返ってきます。

つまり、彼らは私の言葉の並びをみているのではなく、姿勢をみているのです。
それはとてもフェアな眼差しです。


私はそんな関係性のなかでこれからの自分を動かしていきたい。
無責任で幼稚な優しさであふれるアンフェアな世界に、もういたくはない。

できるだろうか、わたしに。


Words may lie. but, actions will always tell the truth.
-Banksy


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by cotomono | 2015-02-22 17:54 | Comments(0)

whereabouts of my soul

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instagramを始めて1か月も経たないけど、
もうすでに飽き始めている自分がいる。

いや、誤解のないように言うと、そこが嫌いなわけではなく、
小さな応答があることに素直に嬉しい気持ちだってしている。
そういう緩やかなつながりに救われる時もある。

でも、同時に、そこは自分の居場所ではないと強烈に思うのだ。



傷つけることも、傷つけられることも決してない、
安全でひどく平面な空間で繰り返されるresponse

でも、そのresponseにresponsibilityはなく、
ただ、観客として拍手を送り合うことでしかない。


yes, we are always bystander.
Why, what's the harm?


そんな、irresponsibilityなresponseを、
私たちは、いつまで続ければいいの?


そして、繰り返される応答の先にいつか、
その魂が、救済される日はくるの?


なぜだろう?
わたしの魂は今日も、泣いています。





大庭亀夫さんに怒られてしまいますが、
今日だけは、コピペすることをどうか許して下さい。


ガメ・オベールの日本語練習帳v_大庭亀夫の休日「声」より


夜更けの町の騒音のあいまから、低い、小さな声で、泣いている声がする。
きみは、びっくりして聞こえるはずのない「泣いている声」の方角に眼を
こらしてみる。

朝になれば、きっと忘れてしまうが、そのときに聞こえたすすり泣く声は、
ほんとうの声で、戦場になった自分の町で殺された母親が息子に
とりすがって泣く声や、
両親を失った幼い子供が毛布の下で声を殺して泣く声、
あるいは、競争の激しい社会で、どうすれば学歴もなにもない自分が
生きていけるというのだろう、と怯える若者が流す涙や、
自分には一生と言えるほどのものはなかったと考えながら死に臨んでいる
老いた男の頬を伝う涙、

きみがたしかに聴いたと思ったあのときのすすり泣く声は、
現実の声で、きみの心が世界に向かって開いた瞬間に、
きみの心にとどいてしまったのだと思う。


その声がおおきくなる方角へ歩いていくのが良い。

社会というジグソーパズルには寸分たがわずきみの形をした
ピースが空いたままになっていて、きみがくるのを待っている。

自分の短い経験からいうと、
特に自分のほうから探しに行く必要はないようです。
「聴き取りにくい声」が聞こえる魂には、
自分が行くべき方角も次第に明瞭にわかってくるものであるらしい。

右往左往をやめて、
自己満足にすぎない正しいことの合唱に加わるのもやめて、
ひとりでいよう、ひとりで耳をすまそう、と心に決めるのがよくて、
聴き取りにくい声が聞こえはじめてしまえば、
およそ、「どうやって生きるか」というような疑問は、
どうでもよくなってしまうもののようです。



さあ、声がするほうへ。
光へ





わたしは、誰でもない、わたしの「声」に従う。

I'm afraid of nothing.
it's a whereabouts of my soul.
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by cotomono | 2015-02-14 19:26 | Comments(0)

reserve

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さてさて、ドイツ人の敏腕マネージャーが、すでに予約を3つも取ってくれたので
追加製作分の含め、せっせと製作にいそしんでおります。

もちろんマネージャーというのは冗談ですが、ピーターとベアが友人たちに
私とカバンたちを紹介してくれて、その友人がそのまた友人にってな感じで
じわじわ〜と伝わっていくのがなんだかとっても素敵です。
展示会というと、そう簡単な話ではないけれど、カバンを予約してくれた
彼らの友人たちに会いに、カバンを携えてドイツ中を旅するのもいいかもなぁ。。
英語、もうすこしなんとかしないと、、、(汗

ドイツでは、滞在するシュトゥットガルトの他に、フランクフルト、ドレスデン、
ベルリン、デッサウ(ここはもちろんBauhaus)、ミュンヘンを巡る予定ですが、
フランス(はもちろんココ)と、できればチェコ、ベルギー、オランダあたりも
回りたい。

あー、3か月なんてあっという間だな、きっと。。。
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by cotomono | 2015-02-08 23:13 | Comments(0)

gift

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マイ ディア フレンドであるPeter Granserは写真家なのですが、
無類の日本茶(煎茶)好きであり、それが高じて、現在、彼らのホームである
シュトゥットガルトに日本茶カフェ兼ギャラリーを作っています。オープンは4月。
ちなみに上の写真は、私がピーターに依頼されてヤフオクで落札したものたち。

パートナーのベアトレスにcrazy german(笑)と呆れられるほど、ピーターの
日本茶への愛は深く広く、まさに、diver of the Japanese green tea.

思うに、ピーターのこの夢中さ加減は、こどものそれ、そのものであり、
しかしながらそれを夢物語で終わらせることなく、現実のものとさせるだけの
パワーとテクニック(お金の引き出し方とかね)はさすがです。
というわけで、おそらくドイツ初となる日本茶カフェオープンに向け、
ピーターはいま、子どものように目をキラキラとさせていることでしょう。

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そんなピーターへの贈り物としてnishimokkoさんにレリーフをオーダーしました。
何だかわかりますか?そうです、あれです、あれ。

nishimokkoさんの自信作だそうで、私も箱を空けた瞬間、わー!!!!☆と
こどものように大喜びしました。
私はnishimokkoさんの大ファンで、最初に見たときから、海外に出すべきと
勝手に思っていたので、こういうカタチでお連れできて本当に嬉しいです。

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それからこちらは、ベアトレスとベアのご両親へプレゼントするブローチたち。
左から、ピクニックのP、ひょうたん、ちょうちょ、そして、いちばん右のは
私がnishimokkoさんからプレゼントしていただいたもので、あれです、あれ(笑

実は、私はドイツ滞在の最初の1か月をベアのご両親のお家にホームステイ
させていただくことになり、その最初のご挨拶でお渡ししようと思っています。

ベアのご両親は70代後半でドイツ語しか話さないオールドカップルなのですが、
外国人の私を快く受け入れてくださり、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
そこはシュトゥットガルト市街地から電車で40分くらいの、いわゆる田舎。
カフェも本屋もないよ、本当に大丈夫?ってふたりに念を押されたけど、
フランスとの国境にほど近く、ぶどう畑が広がり、森や自然がいっぱいの場所で
のんびり過ごすのもいいなぁと思って、ぜひにとお願いしました。
ベアのママにミシンを貸してもらうので、そこで何か作るのも楽しいかも。。。

そんなこんなで、ドイツ滞在しょっぱなから世界ウルルン紀行みたいな展開に
なりそうで不安もありますが、そんな経験めったにできないので、ここは腹を決めて
存分に楽しんでこようと思います(笑
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by cotomono | 2015-02-03 21:09 | Comments(0)

I am Cotomono.

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早いもので2月。そして渡航まであと2か月となり、具体的な作業に負われる日々。
ドイツへはもちろんカバンたちと一緒に行くので、それをどう動かすについてのあれこれをpeterがせっせとやってくれています。
まずは事前にプロモーションをかける必要があり、そのための Portfolio_pdfをpeterが作ってくれました。

まず始めに私が英語で原文を書いたのですが、わたしのプアenglishではとても使いものにならないので、そこはpeterがリライトしてくれbrush up.
もちろん写真の扱いはお手の物。そしてそれを使って早速アプローチを開始。
ほんとに仕事が早く、そして丁寧でびっくりします。

ドイツでカバンの展示会をやります。と言葉にするのは簡単だけど、実際にはある一定数ものを送るだけでもクリアしないといけない壁が色々とあって、はっきり言えば関税の問題があるのですが、それもpeterの的確なアドバイスに従いなんとかいけそうです。

このわたしの大冒険は、彼らがドイツに帰国した11月末からスタートしていて、まず3か月現地で暮らすための部屋探しに始まり、実に様々のことをメールを通じ彼とコミュニケーションしてきました。
交わした英文は200を超えていて、私は翻訳機能をフル回転させつつ、始めのうちは彼の良い意味で曖昧さの全くのない桁外れの行動力と、どこまでも広がっていく想像力に付いていくのにやっとで、ごめん、今日はもうメール開きたくないと思ったこともありました。


それでも彼は必ず私にこう言葉をかけてくれます。
all right. let me know what you think.

あぁ、そうか。コミュニケーションとはこういうことなんだな。
言わなくても分かるだろう、伝えなくても察してくれるだろう、分かってもらえなくてもいい、ではないのだ。

自分の考えをきちんと伝え、それに対し相手がどう理解しているのかを知ることまでを含めて、コミュケーションというのだ。

まず、そこがスタートライン。

そして、わたしはそのような「つながり」を求めていることに気がついたのです。
でも、そんな風に人とつながることは決して容易いことではないのです。


peterは私が送ったあるメールを境に、はっきりと態度が変化しました。
変化というか、私に対する態度を見定めた感じがします。

詳しくは書きませんが、それは私の心情を吐露したものでした。
私が抱える怒り、絶望、そして何故いま日本を離れ、外の世界に光を見いだそうとしているのか、これからどう自分を動かしていきたいのかを。


そして、peterは笑顔で言ってくれました。

僕らは、あなたを最大級に迎え入れます。




彼らは本当に親切にしてくれます。
英語が話せない私を気遣い、私を生かそうと手を差し伸べます。
なぜそこまでしてくれるのかと不思議になるくらい。

でも、それは単なる善意ではないのです。

それは、彼の責任なのです。
関わると決めた人間に対する責任。

彼は彼の想像力を持って、私と向き合ってくれます。
だから私も、私の想像力でそれに応える。

それが、彼らと出会った私の責任だから。





シリアで命を落とした後藤健二さんのことを、私はほとんど知りません。
I am KENJI. と言えるだけのものが私にはありません。

でも、私には分かります。

彼は想像力のある人です。
だからこそ、彼は彼の責任においてシリアに赴いた。
紛れもない、自己責任において。

それは匿名で自己責任論を唱える人々には想像できないことです。
自己を持たない人に、それを扱うことはできないのだから。






I am KENJI. 
私には言えません。


でも、だからこそ言うのです。
私の責任において。

I am Cotomono.
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by cotomono | 2015-02-01 20:53 | Comments(0)