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フィリピン旅日記:2/15(金)ワークショップ#1@Likha(その3)

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さて、続いて紙のカバンの側面に色鉛筆でデザインをしていきます。

ここで、ひとつルールを。
デザインの素材(カタチや色、モチーフ)は、この刺繍の絵の中に描かれている
ものから使うこと。正し、そのまま(部分的に)をコピーしてはダメ。
それ以外は自由にデザインしてOK。さぁ、やってみよう〜

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実はこの刺繍の絵、Likhaのデザイナーで私のロゴ刺繍も担当して下さってる
アナベルさんの大作。パヤヤスの町並み(学校や商店、教会やジプニーなど)が
精密に描かれてあります。ちなみに10枚ほど売れているそうで...すごいな。

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2年前ソルトの小川さんに、このアナベルさんの刺繍の絵をどう生かしたら良いか
相談を受けていたのですが、その時はいいアイデアが浮かばなかったのだけど...

今回、デザインのワークショップを考える中でこれはいい素材になると思いました。
というのも、この刺繍の絵の中にはたくさんのデザインの要素があるからです。
それをどう注目し、整理し、切り取るか。

彼女たちが刺繍として描き出すものの中に、すでにデザインは存在しています。
それを自分たちで再発見してもらいたいなと考えたのです。
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まぁ、そんなわたしの思惑はさておき。。。すきにやってください。(笑

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出来たらデザインした紙のカバンを手に、みんなの前でひとりづつ発表します。
それぞれデザインコンセプトをプレゼンしてもらい、それにわたしが
「ここがいーね」とか「もっとこうしたらいーよ」とか色々アドバイス。
六人六様で、これがなかなか盛り上がりました☆
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見えるままに「絵を描く」のではなく、それをデザインすること。
言葉にするとすごくもどかしいのですが、要はそれをどう「考え」て、
何を「伝える」か...なんでしょうかね〜。
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そういう意味では、アナベルさんのデザインは素晴らしかった。
彼女はフィリピンの国旗をカバンの全面を使いデザインしていて、
このカバンを持つことで、フィリピン人としての誇りを感じ、伝えたいと
話してくれました。


し、しかし。。。
実は彼女たちのデザインの中から、商品化できるものを見い出したいわたくし...

それぞれ個性的でおもしろいのだけど、商品化できるかと言えば難しい。
やっぱりデザインは自分でやって刺繍だけ彼女たちにやってもらおうと
思いかけてた矢先。。。
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やってくれました、ダンダン☆

「わたし絵がヘタだから〜」と、ひとり離れて作業してたダンダン。
いやいや、このヘタウマを待っていたのです(笑

モチーフは、刺繍の絵にちょこんと描かれてあった「赤いベンチ」で、
それを積み木みたいに大胆にデフォルメしてます。うーん...これこそ無欲の勝利。
ラフですが、いろんなイメージが浮かんでくるグッドデザイン。
マーケットに続き、またもやものづくりの神様が微笑んでくれました☆


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その夜、初めてのパヤタス訪問、そして初日のワークショップを無事終えて、
すっかり気がゆるんでしまった私を、大井さんがご自宅にご招待くださいました。

大井さんのお家は、ゴミ山があるパヤタス地区とは対極にあるような、
高層ビルが建ち並ぶメトロマニラの閑静な住宅街にあって、まるで別世界。

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マニラには駐在員のご家族がたくさん暮らしてあって、大井さんをはじめ、
そんな駐在員の奥様たちが長らくソルトの活動をボランティアで支えてきたのです。
なかなかできることではないですよね。

ちなみに大井さんの旦那様は、最近よくニュースで耳にするマニラに本部がある
某国際開発金融機関にお務めで、お噂は少し伺っていたのでお会いできて良かった。
「うちの人、あんまり話さないから〜」と大井さんはおっしゃってましたが、
とっても気さくな方で、大井さんの美味しい手料理(和食)とともに
おしゃべりも弾み、いろんなお話を聞かせてくださいました。

現在のお仕事に至るまでのこと。水道も電気もないバングラディシュでの経験など、
とても興味深かったです。

大井さん(旦那様)のお仕事は、その性質上、時に市民社会(NGO)から批判の的に
なるわけですが、そのことについても踏み込んで聞いてみました。

詳しくは書きませんが...
現場で働いている、いち人間としての思いを聞かせて下さいました。
「一方を聞いて、沙汰すな。」ということかもしれないですね。

あと、なんで東京(日本)でなくマニラに本部があるのか?も聞いてみたのですが、
「いや、だって日本だと人件費かかって大変でしょ」ですって...(笑

そう。日本人、英語できないですもん。。。(わたしもそのひとり)

英語ができる2500人ものスタッフを日本で抱えるとしたら、もうそれだけで大変。
こちらはネイティブでないにしろ、みんなだいたい英語がしゃべれるので、いづれ
にしろその差は大きい。こちらはマックやスタバで働くにも大卒&英語は必須条件。

わたしも、せめてもうちょっとしゃべれるように英語がんばらないと...
誰か先生してくれないかなー。


写真は、大井さんちの猫(ほかに2匹の猫と、ラブラドール1匹も)
調子にのってちょっかい出してたら、この後、猫パンチをくらいましたー。
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by cotomono | 2013-02-27 21:54 | Philippines | Comments(0)

フィリピン旅日記:2/15(金)ワークショップ#1@Likha(その2)

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デザインのワークショップに参加してくれたのは、アナベルさん、ダンダン、
リボレスさん、アイザさん、グレースさん、ロレッタさんの6人。
みんな20〜30代の若いお母さんたちで、Likhaの主力メンバー。

通訳は英語もタガログ語もぺらぺらの、チッキーさんこと大井知文さん。
私もさすがに自己紹介ぐらいは拙い英語でがんばりましたが...(汗
あとはボディランゲッジとわずかな英単語を駆使してなんとか乗り切る作戦(笑
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カバンのデザインといってもなかなかイメージが伝えづらいので、
まずは紙でいちばん簡単に作れるカバンの模型を作ってみて、
カタチをイメージしてもらうことに。

持ってきたレシピ帳からホワイトボードに図面を書き出し、
その通りに紙を裁断してもらうとこからスタート。
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紙はマニラペーパーを使用。くたくたして頼りないですが工作には十分。
裁断ができたら、両端、底マチ部分、上部の返しの部分を折ってテープで止め
だんだんとカタチにしていきます。
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持ち手の部分もしっかり作っていきますよ。みんな真剣ないい顔してますね〜。
そんなママたちのワクワクが伝わったのか、気がついたら子どもちゃんも
参加してました(笑

さて、カバンのカタチが出来たら、いったんテープ止めを外して平面に戻し、
今度は色鉛筆でカバンの側面部分に模様をデザインしていきます。

つづきは(その3)へ
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by cotomono | 2013-02-26 22:04 | Philippines | Comments(0)

フィリピン旅日記:2/15(金)ワークショップ#1@Likha(その1)

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フィリピン3日目も朝からいいお天気。今日はいよいよパヤタス地区にある
『Likha』でワークショップということで、わたくし少々緊張...(汗
色々と準備はしてきたものの、なんせ初めての試みなのでどうなることやら〜。
ま、でも意外と本番に強いので「あとどうにでもなれ」と開き直り(笑
ちなみに、Likhaとはタガログ語で「創造」という意味だそう。
いい名前をつけましたね。

ワークショップは、カバンの「デザイン」と「制作」とを2日間に分け、
15日はデザインのワークショップをさせてもらうことに。
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このクリーム色の建物がLikhaのアトリエ兼「子どもエンパワーメントセンター」
(エンパワーメントとは、すなわち人材育成みたいなことかな?)
周囲はトタン屋根の簡素な住居が連なるなか、想像以上にしっかりとした造りで、
子どもも大人も、色んな人が気軽に顔を出せるような空間になっていました。
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ここは一階で、作業場であり事務所であり食堂であり、、。
ちなみに手前のパソコンでは日本事務所とスカイプしてました。
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外階段を上がって二階へ。明るい陽射しがそそぐ気持ちのいい空間。
ここで子ども達の補習授業やスタディツアーのオリエンテーションなど、
色々と人が集える場となっているようです。
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二階の窓からは、残念ながらパヤタスのシンボルとなってしまっている
スモーキーマウンテン(ゴミ山)が見えます。

そう、こんなに目と鼻の先にあるのです...
Likhaのアトリエに居ると、ついそんな現実を忘れてしまいそうになるのですが。
これがまぎれもない現実です。


さて、デザインワークショップの詳細は(その2)へ続きます。
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by cotomono | 2013-02-25 21:38 | Philippines | Comments(0)

フィリピン旅日記:2/14(木)マーケットへ(その2)

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照り焼きチキンのお昼ごはんを食べた後は気を取り直して、ディビソリア市場へ。
ここはマニラで最大の卸売り市場で詳しくはこちらをご参照ください。
(おっかなくて街中は写真撮れませんでした〜。。。(汗

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ここは一言でいえば、カオス。。。
混沌としたなか、車、人、物、そして、それらが混じり合った音と匂い。
それが洪水みたいに「どぁ〜っ」と四方八方から押し寄せて来て、
みんなとはぐれないように付いていくので精一杯。
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ここでの目的は、カバンの素材としての生地とカシメなどの金具類を探すこと。
今後のものづくりに際し、現地で材料を全て調達できるに越した事はないので。

迷路みたいにどこに何があるのかさっぱり分からない私たちを尻目に、
ビッキー&ダンダン親子には特別なセンサーが付いてるかのように
入り組んだ路地をぐんぐんと進んで行く。(うーん、たのもしいゾ!)

ちなみに、ココは金具屋さん。
さすがにジャパンクオリティとまではいえないけれど、
カシメもハトメもマグネットボタンも、ひととおり揃ってて一安心。

仕入れ先はメイドインチャイナで、オーナーも華僑の方。
オーナーは中国系で労働者はフィリピン人という構図はここのお店だけでなく、
後で回ったお店、すべてがそう。

そして、それは何もこういうローカルな個人商店に限らず、
マカティなど、メガシティに続々と乱立するビルディング群を見れば一目瞭然。
フィリピンはいま空前の好景気だそうで、肥沃な土地と貧困に裏付けられた
安価な労働力を求め、外資は参入の手を緩めることはなく、その行く末に
いったい何があるのかを想像すると、複雑な思いがするのでした。。。
個々が日々の糧を確実に手に入れることとの引き換えにあるもの。
これは簡単に良い悪いと白黒をつけらない問題なので...

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ま、それはさておき、本題の生地探し。
出来ればフィリピンオリジナルの生地で作りたいと思ってて
いろいろ探しまわるけどなかなかない。

歩き疲れあきらめていたとこ、やたら鮮やかな色彩のお店を発見!
幅50cm程度の色鮮やかな染織物がずらりと並んでいる。
聞くと、フィリピン中部のヴィサヤ地方で織られたものらしい。
素材(糸)はジュートで、なかなか良い風合いをしている。
いろんな色があるなか、わたしの中の色センサーがピピピと反応し、
水色とオレンジと茶系の3色をピックアップ。すっかりイメージが湧いてきた。
あきらめかけてたけど最後の最後で、ものづくりの神様が微笑んで下さった!

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さて、最後はアトリエ用にミシンを買うというビッキーさん&ダンダン親子に
連れられてミシン屋さんへ。ここは私も使っているSINGERの代理店みたいで
アンティークなミシンがズラリ。
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でも実際に使いやすいのは現在のものなので、そこは堅実に。
小川さんが買って下さったフレッシュなパインジュースで一服しながら、
JUKIの工業用ミシンを試運転してもらい、縫い心地を確認するふたり。

問題なく良いミシンに出会えたようで、ミシンと一緒に車でパヤタス(お家)へ
帰るビッキーさん&ダンダン親子を見送り、本日のお買い物終了。

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帰りの車のなか、緊張感が解けどっと疲れをみせるわたしに
「ここはこっちの人でもハードな場所だから〜」と気遣って下さる大井さん。

最初のマーケットといい、なかなかスリリングなお買い物でした〜
また行けと言われると考えますが...(笑)
フィリピンのいろんな側面が見れてほんとに面白かったです。

そして、時折「大丈夫?困ってない?」と心配そうにわたしを見て
微笑んでくれるビッキーさんのやさしさに癒されました。
ビッキーさん&ダンダン、アテンドありがとうございました☆
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by cotomono | 2013-02-24 14:17 | Philippines | Comments(0)

フィリピン旅日記:2/14(木)マーケットへ(その1)

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フィリピン到着の翌日は朝から雲ひとつない快晴。
ビッキーさん&ダンダン親子にアテンドをお願いし、ソルトの小川さん、
それにチッキーさんこと大井知文さんの5人で素材探しのためマーケットへ。
大井さんは長らく現地のボランティアスタッフとして、
主にデザイン指導などをされてあるとっても頼りになるお方。

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まず最初に向かったのが、ケソン市にあるキアポ教会の広場に繋がるマーケット。
到着早々、青空に映える白亜の教会にみとれカメラのシャッターを押していると
大井さんに「わわわ、あぶないから〜」と慌てて声がかかる。。。
どうやらここはスリのメッカでもあるらしく、わたしのような外人のおのぼりさんは
格好の的。それからはリュックを前にからい要注意でみんなに着いて回ることに。

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まず最初に向かったのが、ステッチ(刺繍)用の材料が揃う生地屋さん。
いつもここで買っているようで、ビッキーさん&ダンダン親子はお店の人と
顔馴染みっぽく商談。
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入り口には警備員が立っているお店も多くあるなか、ここはご覧のとおり、
子どもちゃんが入り口で水浴びしてるという、なんともユル〜いお店(笑
わたしは内心「おぉ、いい絵が撮れる♪」とフォトジェニックな構図に
わくわくしていたのだけど...このユルさがこの後思わぬ事態を招くことに。

そう、スリにあってしまったのだ...
い、いや私でなく、ダンダンが。

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すっかり商談もまとまり、ビッキーさん&ダンダン親子がレジ清算してたところ、
白いシャツを着た身なりのキレイな男性がすっと入ってきて、すっと出て行った。
ただそれだけ。

わたしは少し離れたところでその男性の存在を確認はしていたけど、
てっきりお店の人かと思うほど自然な仕草でダンダンに近づき話かけていたので、
特に気にも止めず、いつの間にかいなくなっていた。。。

ダンダン曰く「呪文のような言葉をかけられ催眠術にかかったようだった」そうで、
後で警察に被害届と防犯カメラの映像を確認しに行ってたけど、全く痕跡が残って
なかったようでまさにプロの仕業。。。うーむ。。。

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私たちが一緒だったから目立ってしまったのかもねぇ...と日本人3人
申し訳なさも感じていたけど、お金をむき出しで手に持っていたダンダンの
無防備さは否めず、悔しいけどこれも社会勉強とあきらめるしかない。

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スラれた金額は日本円で2万円くらいで痛手は大きく、それもみんなで稼いだ
「Likha」の大事なお金だと思うと本当にいたたまれず、
一瞬、いくらかカンパしようかなとも思ったけど...

仮に同じことが日本で起きたとき、友人に対してもそうするかと問われれば
「しない」と思うし、安易にそうすることは彼女に対して失礼なことだと
思い直した。それに、彼女たちはこれまでも私たちの想像を超える様々な
困難を受け止め、そして乗り越えてきている。

だからこその、笑顔なのだ。


さて、お次はカバンの生地探しへ。(その2へつづく)
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by cotomono | 2013-02-24 12:31 | Philippines | Comments(0)

帰ってきました。

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昨夜、無事にフィリピンの旅から帰ってきました。
トランジット5時間+機材トラブルで台北の空港に6時間近く足止めをくらい、
さすがにヘトヘトになりましたが...(涙

フィリピンでの日々はお天気にも恵まれ、日中は暑かったけどカラっとしてて
夕方からは涼しくとっても過ごしやすかったです。
そして、たくさんの得難い経験をさせていただき、コーディネートをしてくださった
ソルトの小川さんをはじめ、ボランティアスタッフのみなさん、
そして、パヤタス&カシグラハン(現地)のお母さんたちに
感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

このタイミングでフィリピンに行くことができて、ほんとによかった。
旅の思い出はまたゆっくりここに記したいと思います。


さて、今年の予定はフィリピンに行ってから考えようと決めていたので、
さっそくカレンダーとにらめっこしながらスケジューリングを。。。
宿題も持ち帰ってきたので、ひとつひとつカタチにしていきたいと思います。
楽しみだな〜♪

写真は、滞在したQuezon Cityのアパートメントからの眺め。
ちからづよい、朝焼けです。
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by cotomono | 2013-02-20 21:03 | Comments(0)

Remember me

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NHKで「ファミリーヒストリー」という番組があっている。
毎回ゲストを迎え、そのルーツを辿るドキュメンタリーで毎回興味深く観ている。
というのも私自身が自分のルーツについて、これまでになく知りたいと
思っているからだ。


私がいま知りたいと思っているのは、わたしが18か19のときに、
80代後半か90代前半で亡くなった父方の祖父のこと。
祖父が亡くなった日も年齢も曖昧なのは、私にとってそれだけ遠い存在だったから。
話しをした記憶もほぼなく一緒に遊んだことなどもちろんない。
少なくとも「おじいちゃん」と気軽に呼べるような存在ではなかった。

はっきり覚えているのは祖父が亡くなる数日前、母と一緒に病院へお見舞いに
行ったときのこと。それは桜の時期のことで、近所の満開の桜の枝を一本折り
持って行ったのを覚えている。自らそうしたわけではなく、
「おじいちゃんに桜を見せてあげよう」と母に言われたからだった。

病室で横たわる祖父に遠慮がちにそっと桜を見せると、
「あぁ、もとこか...」と、ぼんやりした声が返ってきた。
末孫である私は祖父にとっても遠い存在だったようで、
たぶんそのとき初めて顔をみて名前を呼ばれた気がした。
それから数日後、祖父は静かにその生涯を閉じた。

葬式は父の実家である祖父の家で執り行われた。
すごい数の弔問客があり、在りし日の祖父の存在の大きさを物語るようであった。

祖父と一緒に暮らしていた従兄弟たちは号泣し、
遺骨を分けて欲しいと言う者までいて私にはさっぱり理解できなかった。
私は、寂しくも悲しくもなかった。
ただ、葬式のあいだ中、父が緊張し萎縮していたことだけが気になっていた。



祖父は、明治生まれの大男だった。
祖母とは婿養子で結婚しているから長男ではなかったのだろう。
戦前か戦中か時期は分からないけど、祖父は中国大陸(満州)に家族を連れ渡り、
私の父は5人兄弟の4番目として1941年12月8日、太平洋戦争の火蓋が切られた
その日に生を受けた。

父から戦争中の話は聞いたことはないけれど、終戦時、
ソ連の進軍がすぐそこまで迫り来るなか、まだ幼子だった父は一歩間違えば
中国残留孤児になっていたかも知れないという、命懸けの帰還をしている。

戦後、祖父は家族を養うため豆腐屋で生計を立て、その後、
某組合組織に就職し60歳の定年までいちサラリーマンとして勤め上げた。
サラリーマン時代には、仲間たちと「共済」という仕組みを作り、
最初に資本金を出したメンバーとして、仲間たちと共にその礎を築いたそうだ。

明治、大正、昭和と、動乱の時代を生き抜いてきた祖父。
もうそれだけで十分、がんばった人生だったと思う。

でも、そこから祖父は大仕事を始める。

現在ではごく当たり前のものとして社会に存在している、
「特別養護老人ホーム」という福祉施設を創ったのだ。
九州では一番最初だと聞いている。

特別養護老人ホームとは、文字通り、特別に保護介護が必要な
心身ともに弱者となった老人たちを受け入れる、終の住処だ。

祖父がなぜ、それを成さねばならなかったのか、その真意はわからない。
でも、祖父の子どもである父たち兄弟は、それに多いに巻き込まれた。
狭い地域社会の中で、そして家族で、「善意」であらねばならない福祉を
「事業」としてやることは、少なからず軋轢を生んだ。


父は、25歳で祖父の決めた相手である母と見合い結婚。
勘ぐるのは良くないけど、当時栄養士として女子大で働いていた若き母を、
「ふさわしき人」として祖父は見初めたのだ。

父は祖父の事業を手伝い始める30代半ばまで、某大手広告代理店の営業マンとして
バリバリ働いていた。高度経済成長の余韻がまだ残っていた時代。
わたしはまだ幼く、そんな父の姿をほとんど覚えていないけれど、
以前、私の馴染みの料理屋さんの常連さんで、父の広告代理店時代の後輩だった
という方から偶然、当時の父の働きぶりを聞いたことがあった。
父にとって、広告代理店のような大きなお金を動かすキラキラした仕事と、
いわゆる3Kと言われる老人介護の仕事と、どちらがしあわせだったのだろう?と
思ったことがある。


私が幼稚園に上がる頃、両親は緑と水に囲まれた見晴らしの良い高台に立つ、
ごく普通の建て売り住宅をローンで買った。
後で知ったことだけど、そこも祖父が見つけてきたらしい。
その場所からは、父の仕事場である「老人ホーム」が良く見えた。
もう既に手放しているけど、わたしにとってそこが生まれ育った故郷となった。

社会勉強としてだろう、何かにつけ私たちも老人ホームに顔を出させられていた。
ホームだけでなく地域の障害者施設も時々父に連れられ行っていた。
でも、そこにいる人たちとどう接していいか分からず居心地が悪かったし、
いい子であることを求められているようで、嫌だった。

仕事柄、父はいつもどこか張りつめていた。そのぴりぴりとした緊張感は当然、
家族にも伝わる。老人たちは夜中に「コト」を起こすので、定年までの約25年間、
父は熟睡したことがなかった。そんな父に対し家族はいつも気を使っていたし、
当然、父のストレスを一身に受けたのは母だった。

母に対し時に威圧的に振る舞う父を私は許せなかった。
母が可哀想だったし、今思えば、父権的なものに対する子どもなりの抵抗だった。
だから、いい子でいようとする姉や兄をよそ目に、私だけは事あるごとに歯向かい
ぶつかってきた。お前だけは信用ならんと何度言われたことか...
まぁ、事実そのとおりですけどね(笑)

誤解のないように言うと、父は不器用で厳しい人であったけど根は優しく、
思いやりのある人であった。ただ、父の父である祖父との関係、
そして兄弟たちと「福祉」を仕事として行く中での我慢や自己犠牲、
それが積もり積もり、どこにも吐き出しようのない苦しみをずっと抱えていたのだ。

「おとうさんには、愛情がないのかもしれない...」
いつだったか家族で外食をした際に、ぽつりと父が漏らした言葉を
今でもよく覚えている。


わたしが高2の夏、小さな事件が起こった。
その少し前に、既に現役を退いていた祖父の家で親族会議が開かれていた。
大人の話なので詳しくは知る由もないけれど、
その後、父に言われたことは少なからずショックだった。

「ここを離れて、遠くに行くことになるけどいいか?」
名古屋にある某自動車工場の食堂で住み込みで働く。
確か、そんな話だったと思う。

私は将来の目標も特になく、どこかデザインの専門学校にでも行けたらいいなと
思っていた程度で、どこへ行こうが構わなかった。
姉は看護士になり既に家を出ていたし、兄は県外の大学で一人暮らしをしていた。
父も母も、わたしくらいならどうにかなると思っていたのだろう。

夏休みの補習で、高校へ向かうバスの窓に流れる見慣れた田舎の景色を
ぼんやり眺めながら「そこまで追いつめられているのか...」と、
まるで他人事のように父のことを考えていた。


でも、結局それは未遂に終わった。
夏休みが終わる頃には、何事もなかったかのように父も母も振る舞っていたし、
わたしも何も聞かなかった。


それで、良かったのだ。

もし、あの時それを実行していたならば、
父も母も、現在の穏やかな日々はなかっただろうし、
私も安心して、自分の人生を歩むことは出来なかったかもしれない。

そして、何より父自身が深く理解していたのだろう。
それが、どれだけ我慢や自己犠牲を伴うものであったとしても、
その仕事の意味と、尊さを。


父は、定年まで老人ホームで働き、福祉に従事した。
そして70歳を越えたいまも、弱視の子どもたちに絵本を届ける
「写本」というボランティアを仲間たちとやっている。

働き詰めだった母は50歳のとき、それまでの心労がたたり一時は入院もしたけど、
持ち前の明るさと芯の強さで乗り越え、いまは趣味の日本舞踊に孫の世話にと
元気にやってくれている。心配の種は、まぁ、わたしぐらいだろう。


結局父は、祖父の引いたレールをはみ出ることはなかった。

そんな父や母のようには生きたくない。
自分の人生は、自分で決める。
ずっとそう思ってきた。

でも、だんだんと歳を重ね、自分の人生を生きようとすればするほど、
祖父や父の歩んで来た道程を、どこかで辿っている自分に気がつくのだ。

やっていることは全然違うけど、わたしのルーツはまちがいなく「そこ」にある。





いま、無性におじいちゃんと話がしたい。

どうして、家族を巻き込んでまで「福祉」をやらなけらばならなかったのか。
そして、中国大陸にいた「戦争」という時代に、何があったのか。


私は笑っている祖父を知らないけれど、現役時代の祖父は賑やかなことが好きな人で
盆正月などは仲間たちと大宴会を繰り広げていたらしい。
結婚も祖母に先立たれた後、二度もしている。(笑

でも、それは祖父だけに限らず、
あの時代の人たち特有の「おおらかさ」にあるのかもしれない。
でもきっと、かっこいい人だったろうから、いろんな意味でモテただろうな。
そして、たくさんの人を愛し、愛された人であったと思う。






おじいちゃん


生涯、あなたの心にあったのは、
戦争という時代への大きな意味での贖罪と、
その時代を共に生き、そして死んでいった無数の魂への
大きな愛だったのではないですか?


わたしは、なんだかそんな気がしています。



一緒にお酒が呑んでみたかったな。
いまなら、きっといろんな話ができただろう。




Do you remember me ?


ねぇ、おじいちゃん
わたしのこと、おぼえてますか?


わたしはおじいちゃんのこと、
こんなにも、おぼえているよ。




::


さて、明日から1週間フィリピンの旅へ。
滞在中、太平洋戦争の史跡にも足を伸ばしてみようと思っている。

そう。フィリピンは、わたしのものづくりのルーツである
柳宗理さんが経験した「戦争」があった場所でもある。

もしかしたら、ものづくりをはじめたときから、
そこへ向かうことは、決まっていたのかもしれない。


そう思うと不思議だけど、ルーツとは何も血のつながりに限ったことではなく
歴史という、過去から連なる先人たちの無数の営みから、
様々なバトンを受け取り、わたしたちはいま、ここに存在しているのだ。

それはとても心強く、生きて行くことの面白さを教えてくれているようだ。



それでは、いってきます。



::



  遠く離れた場所であっても 
 
  ほら 近くにいるような景色
 
  どうか元気でいてくれよ

 
  
  ほら 朝が来るよ
 
  新聞は毎日パパの顔曇らせたまま
 
  子供だって おとなになるよ

 

 
  ママになってみたいな
 
  何処か遠くへと 行くのかい
 
 
  Do you remember me
 
  いつか教えてよ 
 
  あの時の涙のわけを
 
  笑顔の思い出を

 


  さらば夕暮れ時の駅前の
 
  豆腐屋のおじさん 待ってよ
 
  今日は特別な味噌汁だよ

 
  大きくなったな 夢はなんだろうな
 
  覚えていたんだね 時は流れても
 
  変わらないや 変わらないや

 


  すべては始まり 終わる頃には
 
  気付いてよ 気付いたら
 
  産まれた場所から 歩き出せ
 
  歩き出せ

 

 
  遠く離れた場所であっても
 
  ほら 近くにいるような景色
 
  どうか元気でいてくれよ


        くるり/Remember me




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by cotomono | 2013-02-12 23:07 | Comments(0)

DEBT:THE FIRST 5000 YEARS

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原書はとても読めませんが...翻訳なら読めますね。スバラシイ。
明日からの3連休、お暇な方はぜひご一読を〜☆

「DEBT:THE FIRST 5000 YEARS」
負債:その5000年の歴史 1-1
負債:その5000年の歴史 1-2
負債:その5000年の歴史 1-3
負債:その5000年の歴史 1-4
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by cotomono | 2013-02-08 18:59 | Comments(0)

先週末のこと

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先週末は仲間たちと、こんな本あんな本を書かれてある、
法政大学(国際環境NGO FoE Japan/メコン・ウォッチ顧問)の松本せんせいを
お迎えしての飲み会。い、いや、勉強会(笑

いやー、お噂どうりオープンマインドな方で、勉強会当日はもちろんのこと、
前夜のフルコース(居酒屋〜屋台ラーメン〜屋根裏獏)で聞かせてもらった
記者時代の裏話やラオスでの子育てなどなど、とーっても面白かった!

松本せんせいは、具体的に「変える」意識をもった現場主義者であって、
相反する立場の人間とも酒が呑める懐の深さと、交渉していくテクニックは
そのフィールドワークがあればこそなのだろうなぁ。

まぁ、でもさいごはやっぱり人柄だね。
松本せんせい、愛すべきグッドネイチャーの持ち主だもん。
またどこかでお会いしたいです☆


さて、旅の準備をぼちぼちと。
小さいスーツケースにしちゃったんで、何かを減らさないといけないんだけど、
これ以上何も減らせななくて困ってます。うーむ。
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by cotomono | 2013-02-07 22:18 | Comments(0)