<   2011年 10月 ( 11 )   > この月の画像一覧

コラボかばん、スタート。

a0072072_16384511.jpg

今年もコラボかばんの季節がやってきました。

と、いうことで昨日は朝から『アトブラ』のアトリエに参上し、一日作業。
今回も純平画伯とタッグを組むべく、「こんかいもビンでいいやん」と
めんどくさそうにいう彼を「まぁまぁ」となだめながら、「あれしてこれして」と
午前中いっぱいかかって、描いたり切ったりしてもらいながら、その欠片をどう
デザインにするか、生地の上で、うーん...と試行錯誤。

で、けっきょく「やっぱビンかいて」(またか...)ってことでひとまず落ち着き、
午後からは11/2〜始まる博多駅の展示制作に忙しいっぽい?メンバーにまじり、
今度はわたしが描いたり切ったり...

a0072072_1734266.jpg

まず、純平画伯が描いたビンを切り抜き、
a0072072_1752719.jpg

ステンシルペーパーにトレースして、版をつくる。
a0072072_179424.jpg

生地(今回は濃紺のジュートを使います、かなりイイ)の上で
横にしたり上にしたりあーでもないこーでもないとレイアウトを。
a0072072_17111070.jpg

その間に「最近の趣味はお風呂掃除とオムツ洗い」と自虐的に笑うイクメン
中間管理職ハラダさんが色を調合し、小さいビンで試し塗り。
a0072072_17181935.jpg

ようやくレイアウトが決まり、ステンシル用の毛先の短い刷毛を使って
トントンと軽く叩くように生地に色をのせていく。
(今後、量産するときにはメンバーにやってもらいまーす)
a0072072_1724352.jpg

ステンシルは実は初めてだったけど、シルクスクリーンとはまた違った
アナログの良さがあって、やり方によってはより繊細な表現ができるので、
これから自分の作品にも使えそう... めんどうだけどかなりおもしろい!!
a0072072_17304419.jpg

なんやかんやで、すべての作業が終わったのは夜の八時過ぎ。
途中、今回はもうダメかもなぁ...と内心不安だらけであったけど、
みんなと一緒に手を動かすうちになんとかなるもんで、あきらめずに
がんばってよかった。

ものづくりの神様、ありがとう!アトブラ、さんきゅう!



さて、あとはカタチにするのみ。
がんばらないと。。。
[PR]
by cotomono | 2011-10-30 17:44 | Comments(0)

山田さん

a0072072_2030589.jpg

弘前は五重塔の麓にある、アナーキーな食堂「ゆぱんき」
魔女の宅急便みたいな女の子がひとりで営んでます。
もちろんジジ(黒猫)もいっしょ。
水色のかばんをからって(ホウキにまたがり)夜空を飛んでそう...



10月もおしまいに近づき、せわせわと現実的なことに追われる日々。
ふと、ホロのページをのぞくと、山田さんのことばがあったので、
しばらく、じぃ...っと眺めていた。

つぎ、弘前へ行ったときは、山田さんと夜の喫茶店をご一緒したいと
秘かに思っていて、大きな声ではいいませんが、かなり気になる人です。


明日は、詩集を買って帰ろう。
[PR]
by cotomono | 2011-10-28 20:57 | Comments(0)

滋養

a0072072_20293432.jpg

今朝、着物やさんの朝礼で、あるお店からお礼のお手紙を頂いた旨の話があった。
個人のお客さまならまだしも、仲介である呉服屋さんからわざわざお手紙で
お礼があるとは、よほどのこと。それは半年という時間をかけて、
じっくりお直しされた訪問着と長襦袢で、わたしも最後の仕上げの時に扱わせて
もらったので、あぁ、あの着物のことだなとすぐわかった。

毎日、たくさんの着物を扱う。
よれよれのお仕事着から二十歳の振袖、普段着の紬から年代ものの留袖まで、
着物をみていると、なんとなく、人がみえてくる。

そして、着物は古いものが断然、いい。
織り、染め(配色)、仕立て、金箔や刺繍など、すべての意匠、誂えにおいて
古いものは手が入っている。というか、大量生産ではない時代のものなので、
人の手をかけずには作れなかったのだ。

そして、古いものは手を入れることで美しくよみがえる。
そんなビフォーアアフターをこれまで何度も目にしているけれど、
今日扱った振袖もそんな一枚だった。

検品用の衣紋掛けに下げてある時から、あぁ、いいものがあるなとその気配を
感じていたけれど、実際、仕上げで扱わせてもらって、その良さに心底感動した。

それは、お母様がご自身の成人式の時に着られたという古典柄の振袖で、
赤を基調としたものが多い振袖のなかでも、珍しく緑(黄緑)と青(水色)を
基調とした絶妙な配色で、ポイントとしての黄色の使い方もうまいし、
白を含めたくさん色が使われているのだけど、すっきりしていて、
刺繍も柄も古風でかわいらしく、そうそうある代物じゃない。

どこの夜会(パーティー)で着るんだろう?と疑いたくなる、
キラキラが散りばめられた海外生産の今時のケバい振袖全盛期のなか、
こんな素敵な振袖を成人式に着れるなんて、なんて贅沢、うらやましい...と
慎重にプレスしながらため息まじりにつぶやいていたら、
成人式ではなく、娘さんの結納で着せたいというので持ち込まれたものらしく、
30数年の経過で金駒刺繍がぼろぼろになっていたのを社長(職人)が
ひとつひとつ、修復したとのこと。お見事。


色刷毛(いったん、色を抜いて元の色に戻す作業)がうまくいかない時など
廊下でうなだれている社長を何度となくみているけれど、その苦労をもって
修復という仕事は、ときにそれ以上の価値を生み出す。



良い着物は、(人の)気配がする。
それは、ちゃんと人の手を介しているという証。

お手入れという仕事は、わたしにとって滋養のようなものだ。
そこから日々栄養をもらい、ものづくり人としての、からだをつくっている。

稼ぐだけであれば、この仕事でない方がいいだろう。
でもこの仕事でなかったら、わたしはつくることができていなかったかもしれない。

職人らしく?... 豆だらけの分厚くなった手のひらをみて、
すこし、誇らしく思う。
[PR]
by cotomono | 2011-10-20 22:23 | Comments(0)

5mm

a0072072_1814336.jpg

普段、かばんによって、5.4.3cm幅のレザーベルトを使い分けている。
そんな差異ないやん、と思われるかもしれないけどかばんは紐(ベルト)がいのち。
それで表情がぐんと変わるので、ベルトの制作取り付けはいつも慎重になる。


a0072072_1815492.jpg

a0072072_1821358.jpg

a0072072_1822693.jpg

a0072072_1823876.jpg

今回は、例によっておばちゃんらに「ちょっと大きすぎるのよね」と、
陰口たたかれそうなほど、大きくなってしまったブランケットかばんに
2.5cm幅の細いベルトを付けてみた。
最初は3cmの予定だったけど、なんかバランスが悪くて5mmカット。
すると、すんなり収まった。たった5mmのことだけど、ふしぎ。
ちなみにこれ、肩掛けにもできますし2本ぐるっとからって斜め掛けにもできます。

a0072072_183087.jpg

写真じゃ大きさが伝わらずマッチ箱何個分とかも言えず残念ですが、
これ、ほんとにおおきいです。

おおきすぎて、見たとこなんも入りそうにないので、
夢とか希望とか、愛とか(あれば)入れてください。






*******************
THE SKETCH TRAVEL(ほぼ日)
THE SKETCH TRAVEL(official)
ほんとうに、すてきです。ショートムービもいいやねぇ...

[PR]
by cotomono | 2011-10-19 18:09 | Comments(0)

一緒なら、

a0072072_22343552.jpg

ひさしぶりに、Carole Kingを聴いている。
You've Got A Friend 、It's Too Late、I Feel the Earth Move、So Far Away...
などなどいつ聴いても色あせない珠玉の数々。
なかでも「Child of Mine」という曲が胸に沁み入る...(歌詞の意味はわからんけど
不思議なものでよく聴いていた20代前半は、この曲があったことすら覚えてない。
まるで古い小説を読み返して新たな1行を発見したような、、温故知新的感動。
ちなみに、御歳69のCarole King。現在はカナダのモントリオールに暮らしながら
いまも現役で歌っていらっしゃるとのことで、すばらしきかな人生!

モントリオールといえば、シルク・ドゥ・ソレイユのホームグランドだけど、
Carole Kingを口づさみ、秋晴れの博多の町を自転車で走りながら、
高く伸びる空を眺めているうちに、無性にそこに行ってみたくなった。



そういえば1年前も、こんな風に空を眺めながら
「どこか、知らないところへ行ってみたい」と思っていたことを急に思い出した。

できれば、かばんたちと一緒に。
いや、行くならかばんたちと一緒に、だな。


かばんは、わたし自身であって、いちばんの友達だ。
一緒なら、寂しくない。一緒なら、どこへでも...
[PR]
by cotomono | 2011-10-16 23:18 | Comments(0)

われわれはただの生を肯定しえるか?

a0072072_148167.jpg

今日もブランケットのかばんを作りながら、、、というか
「本」を読み進めながら、かばんを作っていた。。。

なんでこんなに吸い込まれるように読みふけってしまうのか...

それは、本書が単にこの世界(外)を覆っているものについての物語でなく、
わたし自身が子どもの頃からずっと内包し続けているものと密接に
繋がっているからだということが、今日、はっきりとわかった。
そういう意味で、わたしにとって、いま読むべき本であったと思う。


以下、本書より一部書き起こして紹介します。(しつこくてすみません...
おそらく、わたし以外にも腑に落ちる女性(男性/子ども)はいると思います。


:::::::::::::::::::::::::::::::::


「われわれはただの生を肯定しえるか?」


(上略)
われわれは、これまで「世界」と「地球」を認識論的に分けて考えてきた。
前者は、政治/社会/経済的な意味での全体性を表し、後者は主に環境的な
条件を指し示した。だが、諸問題の大きさとそれらの連関が自明化することに
よって、われわれ万人が、同時にひとつの「世界=地球」に直面している感を
共有しはじめている。

言い換えると、われわれは同じ一つの「共棲体」として存在していることが、
危機的に露呈されはじめた。逆説的にも資本主義の開発超過によって、
「コモン」の究極的形態としての「世界=地球的富」とその共有以外に、
何の至上価値も存在しえないことが自明になりつつある。

その「富」とは、端的に言って「社会的多様性」と「生体的多様性」である。
この限りある富を、一握りの国家と企業が統制し続けることはできない。
われわれもまた、それらが作り伝播してきた「価値」に従って生き続ける
ことはできない。好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ、
われわれみなが生き方の転換を迫られるだろう。
これまで先進国的反映を存分に楽しんできたわれわれも、
それとは異なった新しい価値を見いだしていかねばならない。

そこで問題は、そのまだ見ぬ価値の転換点に「不運」あるいは「不可抗力」以上の
「肯定的な契機」を見いだしていけるか、である。
おそらくそれは「生」の問題にかかわっている。
そしてそれは「社会的多様性」と「生体的多様性」に基づいた民主主義、
あるいは「あらゆる生の民主主義」の可能性にかかわっている。

クロポトキンをはじめとする十九世紀アナキストたちは、社会ダーウィニズムが
発展の原理とした「競争」に対して「相互扶助」を提起した。二十世紀の人類学者
グレゴリー ベイトソンは、広義のダーウィニズムが「生存の単位」と見なした
「種か亜種か」に対して、「環境および生体組織と環境の関係」を「生存の単位」
として据えた。これらの原理は、共にいまや「夢想的理想論」どころか
「不可避的認識」になり変わった。
これは「人類的危機」だが、同時に「人類的覚醒」でもあるのだ。

この「覚醒」が促しているのは、われわれが「利潤」を元にした「生」から
どこまで脱却しうるか、ということである。
例えば、ひたすら「利潤」を求める生は、間違いなく死にゆく一過性の生としての
己の存在を肯定しえない。

それは資本の自己増殖運動とどこまでも一体化し、「種」あるいは「国民国家」
さらにまた「家系」という形で「自己」を永続させようとする。
なぜ、一部の権力者たちや資本家たちが世界=地球をかくも食いつぶすまで、
自己保存/自己増殖にはしるのか、という謎はここにある。
猿/ライオン的比喩で言うと、彼らはほとんどの場合、自分の家族と種の繁栄のみに
超過的な責任を負い、そのためなら他者を破壊することを厭わない「群れのボス」
あるいは「超男性(alpha male)」以上ではない。

われわれは、このような指導者による統率から限りなく遠い、
より平等主義的な生の組織化のモデルを発見していかねばならない。

(下略)

::::::::::::::::::::::::::::::::::::


音楽に救われることはあっても、
読書に救われるという経験はあまりに少ない。

そういう意味で、わたしは経験不足だ。
本を読もう。
[PR]
by cotomono | 2011-10-16 02:26 | Comments(0)

死にゆく都市、回帰する巷

a0072072_1917314.jpg

体育の日の「END:CIV」福岡上映会

人類以外の生命体のためには、もう人類は絶滅した方がいいとすら思う、
まぁ、なんとも言いがたい絶望的な気分になってしまう内容だったれど...

この映画を、築100年近い博多の下町の長屋で、入り口を解放したまま、
ビール片手に地べたにペタリ座り込み、この映画を作ったアメリカ人の
フランクさんと、それを東京からわざわざ持ってきてくれた成田さんと、
その日そこにたまたま集ったいろんな人が一緒になって観る事ができ、
みんなであれやこれや言い合えたことは、なんというか、
ひとつの「希望」であったなと思う。


場がお開きになり、IRAの物販コーナーで、ピンクとグレーの装丁に惹かれて
一冊の本を手にしていると「それ、すごくおもしろいですよ」と声をかけてもらい、
成田さんと少し話をさせてもらった。お会いしたのはこれがはじめてだったけど、
共通の人の話題があったり、IRAのブログは以前からよく見ていたので
なんだか前から知ってる人みたいだった。

そして、実はずいぶん前に成田さんが書かれていた「ある言葉」の一節を
自分で少しアレンジした言葉を、忘れないように“覚え書き”として
わたしは持っている。

そんな?成田さんおすすめの『死にゆく都市、回帰する巷』を昨夜から寝る前に
少しづつ読み進めているが、すごく気になることがしょっぱなから書いてあり、
なんでそんなに気になるのか?、今日はアイロンがけしながらそのことについて
考えていた。

で、あんまりにも気になるので、
以下、本書より一部書き起こして紹介させていただきます。

:::::::::::::::::::::::::::::


ニューヨークには「アート」を目指す若者たちが集まってくる。視覚芸術のみならず、音楽、パフォーマンス、デザイン...。だが、ほとんどは食べるためにバイトをしている。ウェイトレス、ウェイター、バーテンダー、画廊助手、アーティスト助手、フリーランスのデザイナー、ウェブマスター...。安定した正規の雇用ではない。「アーティストである」という自意識が、不安定な日々を支えている。

(中略)

アートには複数の顔がある。それは「稀少価値」を生産する制度の一種である。作品に超越性を求める人には宗教的体験である。それを創る有名アーティストにとっては、天文学的価格の売り物である。非公式労働(バイト)の需要が大きいネオリベラル経済にとっては、労働者がアーティストという自意識を持つもとで、その日常に耐えられることは願ってもない好都合である。その意味で「労働者=アーティスト」という等式は、文化浸透の時代の新たな管理方法になった感さえある。

では、増大し続ける無名アーティスト、つまり巷に広がるアートを志す無数の労働者(フリーター)たち自身にとってそれは何なのか?叶えられない夢なのか?

彼らにとってはその活動があるからこそ、苛酷な現実に拮抗しうる「希望」である。それは一面では、新たな資本主義の管理に身を委ねることである。大上昇を目指すハングリースポーツの要素もある。

だが、事はそこで終わりではない。この「希望」と「管理」と「商品化」を超え、それらを破壊する要素を秘めている。それは労働者(フリーター)たちにとって「疎外されない労働」「自律した労働」を予行する実践なのである。無論、日々の糧のために、他の労働(バイト)に従事せねばならない以上、それは「解放」ではない。それでもなおその核(コア)には、むしろ「アクティヴィズム」に近い意味での「無償行為」を含んでいる。

情動労働とは、他者とのエロティックな交換(感)に携わる労働である。一方の極には、性労働があり、看護があり、アートを挟んで、他方の極には情報の生産/技術/管理がある。その横断的カテゴリーは「人間関係の生産」という、いわゆる職業を超出してしまう実践と同時に、従来の「政治」を支配してきた父権的統制を一掃する機能を持っている。ここでの理想型は、もはや知力や武力を誇示する支配者ではない。あらゆる場面で華麗に繊細に気を使うパフォーマーである。そしてそれこそが、かつての左翼に対する現代のアクティヴィストの指標となっている。

アート制作の絶対数の増大は、実は質の劣化とは何の関係もない。それは供給過多による商品価格の下落において「アート制度の危機」でこそあれ、「アートの危機」ではない。むしろ大衆化によって、アートは制度を溢れ巷に流れ出し、そこでアクティヴィズムと融合し、新たな次元を開示している、とも言える。

この状況は、我々にアートの本質について再考を促している。いまや作品という「単独性(シンギュラリティ)」が、物体崇拝(フェテシズム)を超えて、遂に示しはじめているのは「それ自体が喜びである労働」という「共産主義の理想」ではないか?

::::::::::::::::::::::
::::::::::::::::::::



a0072072_21481748.jpg


わたしは自分のことを「アーティスト」だとはこれっぽっちも思ってないし、
どちらかというと、そういう自己表現的欲求からは対極にある気がしていた。
だから10年もつくっていながら、それを「表現」として外に出しはじめたのは
3年前からだし、それも、それを使って、どう自分を動かすかに興味(欲求)が
あって、表現を追求したいとか、作家らしくアトリエを持ちたいとか、
作家として名を馳せたいとか、そういう欲求がほとんどない。
そういうのがあまりに欠けているので、自分は「作家」なんだろうか?と
ずっともやもやしていた。そんな曖昧さが嫌で、現実的にそれを(半分)糧に
していくことで、いまは「肯定」できるよう(するよう)になった。

「やらなきゃ、食えない。」が、現実的な原動力だ。


それが311以降、「自己表現」への欲求が高まっている。
そして、それはたぶん、放射能汚染と関係している。


わたしも原発(システム)にじわじわと殺されるんじゃないか?
殺されているんじゃないか?そんな気が、どうしてもする。

その反動を、「脱原発運動」として積極的にデモに行ったり、
以前のようにここで書いたり、「表現」すべきなのに、できない。

正直にいえば、すべてをシャットダウンしてバカみたいに
ものづくりだけに没頭したいとすら、思っていた。
いわば、現実逃避だ。


でも、そういう状況になって初めて、
強く「表現したい」と思うようになった。

良いものを、美しいものを、わくわくするものを、つくりたい。
人のこころをつかんで離さないような、ものをつくりたい。

つくる喜びのなかに、深く深く、入りたい。




だって、「つくらなければ、死んでしまう。」
[PR]
by cotomono | 2011-10-13 21:47 | Comments(0)

サーカス

a0072072_224526.jpg

わくわくするままに作っていったら、こんなのができた。
なにかに似てるなと思ったら、サーカスのテント小屋みたい。

サーカス、みたいなー。
[PR]
by cotomono | 2011-10-09 22:54 | Comments(2)

新しい刺繍と津軽の幸とスティーブの言葉。

a0072072_165149.jpg

中州川端の『丸十』でブランケットのかばんに合わせる深いブルーグリーンの生地を
裁断テーブルに広げカットしてもらっていると、ちょうどテーブルの高さぐらいの
小さな女の子が近づいてきて、「わぁ〜、きれい!」と、ひとこと。
よしよし...(笑)


a0072072_16161442.jpg

さて、目下試行錯誤の日々であった、新しい刺繍の落としどころがようやく決まり、
なんとか、かたちになった。

当初、ふつうに幅広のベルトに加工して使おうとしてみるも、
なんというか、言葉のとおり「取っ手付けた」風になるので、
取手自体をこれまでやったことのない新しい方法で作ってみようとチャレンジ。

a0072072_1631232.jpg

9本の細いレザーを3本づつにして編み上げて1本にし、筒状に縫い合わせた
刺繍を施したデニムに通して、真鍮の留め具でぎゅっと固定する。

...と書いてしまうと、なんてことのないように思えるけれど、
ここまで辿り着くのに、ひとつひとつがほんとうに大変だった...

a0072072_16411384.jpg

いつものことだけど、あたまのなかのイメージの世界にあったものが、
こうして自分の手を通し「かたち」となって表れると、不思議な気持ちがする。
まちがいなく、自分でつくり出したものだけれど、なんというか、
まるではじめから、そこにあったもののような気がするのだ。

今度の展示会は、そんなカバンたちにたくさん出会えそう... かな?



a0072072_16523148.jpg

さてさて、秋も深まりつつある今日このごろ、
弘前の友達から、津軽の幸が届いた!!!恐ろしく、食欲をそそるラインナップ(笑
ちょうど、メッシュの平川さんに熊本のご実家で収穫されたばかりの新米、
ふつうより1.5倍粒が大きいという『大蛇の瞳』をいただいたばかりなので、
これはもう食べるしかないでしょう!
本当にありがとう。

それから、先日弘前からうれしいお知らせがありましたのでご紹介を。
『ホロ』のメンバーでもある、建築家の蟻塚 学さんたちが手がけられた
「王余魚沢倶楽部」が、2011年度グッドデザイン賞を受賞とのこと。
単に箱ものではなく、地域やコミュニティに根ざしたお仕事、本当にすばらしい。
おめでとうございます!

ちなみに、蟻塚さんはわたしと体型が似ていて(笑)、
わたしのカバンがよくお似合いになるのでひとつ買っていただきました...

ほとんどご紹介できませんでしたが、弘前の展示会では、
蟻塚さんをはじめ、いろんなおもしろい人やすてきな人に出会いました。
またすこしづつご紹介できればと思います。


a0072072_1721918.jpg

photo : misa shigematsu [STM]

さて、長くなりましたが、先日逝ってしまった
スティーブ ジョブスの言葉をひとつ、ホームページにアップしました。

「内なる声」
忘れないように、ときどき思い出してみよう。
[PR]
by cotomono | 2011-10-08 17:48 | Comments(0)

「END:CIV」福岡上映会

a0072072_21391670.jpg

体育の日は、テトラでこころのうんどうを。

............................................................................................

「END:CIV」福岡上映会
場所:art space tetra
期日:2010年10月10日(日・祝)
時間:19:00~
料金:1,000円上映後トーク

*本ドキュメンタリー監督のフランクリン・ロペス氏、
『新宿IRA』店主ナリタケイスケ氏による上映後のトークも行います。


「END:CIV」は、私達の文化が常習的に繰り返す組織的な暴力と環境破壊についてのドキュメンタリーだ。その結果として生み出されるのは、汚染された 大地と、精神に動揺を来した国家である。デリック・ジェンセンの著作『エンドゲーム(最終局面)』に部分的に依拠しながら、 END:CIV は次のような質問を見る者に投げかける。

「エイリアンが故郷を侵略して木々を切り倒し、水と空気そして食料を汚染したとしたら、あなたは抵抗するだろうか。
 文明の崩壊の原因を辿れば、多くの場合、資源の過剰な消費という要因にたどり着く。経済の混乱、石油の枯渇、気候変動、環境の悪化などの問題によって、世界は不安定な状態に陥っている。新聞や雑誌の見出しに日々踊るのは、人々の期待への裏切りとスキャンダルの物語だ。だが現在のグローバル・ システムの終焉を怒りとともに要求する必要などない。システムは、既に崩壊しつつあるのだから。
 最悪の被害をこうむった場所にさえ、勇気と共感、そして利他主義の行動の輪は広がっている。戦争と不況の最大の被害者が立ち直る姿、そして真正面からこの危機に立ち向かう人々の勇気ある行為を映し出すことで、「END:CIV」は全てを消費しつくそうとする狂気からの脱出と、より健全な未来への道のりを照らし出す。

 デリック・ジェンセンの 主張を根拠に、このドキュメンタリーは見る者に、この大地への本当の愛を求めてくる。矢継ぎ早に進行しながら、音楽や過去の映像、モーショングラフィックス、アニメーション、ユーモアや皮肉を巧みに散りばめる事で、私達の身の回りで内部崩壊しているグローバルな経済システムを、このドキュメンタリーは解体しようとしているのである。 END:CIV は当事者の犠牲や勇気ある行動を取り上げ、そこに強烈な、感情をかきたてる映像を加えることで、ジェンセンの詩的で直感的なアプローチと絶妙の調和を示している。未開地で撮影された映像は、日常的に起こっている恐ろしい破壊行為の明白な証拠であるとともに、息を呑むような自然の美しさという一服の清涼剤を 与えてくれる。」

..........................................................................................






[PR]
by cotomono | 2011-10-06 22:04 | Comments(0)