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これから、これから、、、

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楽しみにしていた、新しい刺繍がフィリピンから届いた。
どきどきしながら封を開けて、思わず「わぁ〜!」と声があがる...


か、かわいい!!!オーダーどおり、パーフェクトな仕上がりで、
手にすると、ひと針ひと針、ほんとうに丁寧に刺して下さったのが伝わってきて
この感動を今すぐ伝えねばとフィリピンから帰国したばかりのOさんに急いで電話。

Oさんによると、今回はいつもロゴ刺繍をして下さっているアナベルさんではなく、
ロレッタさんという20代のママさんがやって下さったそう。

「もし、イメージと違うようだった再度チャレンジします。」と
申し出て下さっているそうで...アナベルさんもそうだけど、真面目で誠実な人柄が
かたちになって表れているなぁ、と本当に思う。

そこにどんなストーリーがあろうとも、
ものづくりは、やっぱり「もの」がすべて。
良いものをつくりたいという「思い」が、すべて。


ロレッタさんはこれから『Lihka』の商品開発も担っていくそうで、
わたしも微力ながらお手伝いさせてもらう... ってか、
一緒にやっていくつもりなので、これからが本当に楽しみ。


実情は何もわからないままに始めたロゴ刺繍も、丸2年がたち100枚を超えた。

あの頃は、まだイメージできなかったことが、
気がついたらちょっとづつ、できるようになってきた。



さぁ、これから、これから。
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by cotomono | 2011-09-27 22:01 | Comments(0)

NEVER LET ME GO

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テレビがあった頃、たしかETV特集で
『カズオ イシグロ』という作家のことをはじめて知った。

こういうことがたまにあるから、ときどきテレビがみたいと思うのだが、
それはさておき、代表作『わたしを離さないで』をごはんも食べず一気読み。

読後、なんとなくもやっとした感触が残り、ページをめくり返すも
それがなんなのか自分でもよくわからなかったのだが、その後、
ネットでみつけたカズオイシグロのインタビュー記事になかに
それの根拠となるような興味深い言葉をみつけた。

以下、転載しますがネタばれになるのでご注意。



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■「死」とどう向き合うか


-ご存知かもしれませんが、自分の運命や役割に対する、登場人物のどうしようもないほど消極的な生き方に疑間を抱く読者もいます。しかし我々がもし登場人物のような状況に置かれたら、他人の運命のように感じてしまうのではないでしょうか。きっと何も出来ないでしょう。例えば第二次世界大戦の日本の特攻隊やイラクの自爆犯も、自分の運命に疑間を感じません。ここに出てくる子供たちも自問しません。


イシグロ: 小説家として、テーマをいろいろな角度から掘り下げていくことができます。この話を書くときに最初に思いついたことの一つは、話の中に“逃亡”を入れることでした。それは誰でも最初に思いつくことです。例えば、搾取されたカーストのメタファー、人間の精神についての話にもできるだろうということに気づいたのです。奴隷と反乱の話です。でもそういう話は書きたくなかった。私が昔から興味をそそられるのは、人間が自分たちに与えられた運命をどれほど受け入れてしまうか、ということです。こういう極端なケースを例に挙げましたが、歴史をみても、いろいろな国の市民はずっとありとあらゆることを受け入れてきたのです。自分や家族に対する、ぞっとするような艱難辛苦を受け入れてきました。なぜなら、そうした方がもっと大きな意義にかなうだろうと思っているからです。そのような極端な状況にいなくても、人はどれほど自分のことについて消極的か、そういうことに私は興味をそそられます。自分の仕事、地位を人は受け入れているのです。そこから脱出しようとしません。実際のところ、自分たちの小さな仕事をうまくやり遂げたり、小さな役割を非常にうまく果たしたりすることで、尊厳を得ようとします。時にはこれはとても悲しく、悲劇的になることがあります。時にはそれが、テロリズムや勇気の源になることがありますが、私にとっては、その世界観の方がはるかに興味をそそります。別にこれが決定的な世界観だと言っているのではありませんが、このような歪んだ世界観を描くならば、『日の名残り』でも、この作品でもやったように、常にその方向に行く方を選びたいのです。『日の名残り』は、執事であることを超える視点を持ちようがない執事についての話です。我々はこれと変わらない生き方をしていると思います。我々は大きな視点を持って、常に反乱し、現状から脱出する勇気を持った状態で生きていません。私の世界観は、人はたとえ苦痛であったり、悲惨であったり、あるいは自由でなくても、小さな狭い運命の中に生まれてきて、それを受け入れるというものです。みんな奮闘し、頑張り、夢や希望をこの小さくて狭いところに、絞り込もうとするのですそういうことが、システムを破壊して反乱する人よりも、私の興味をずっとそそってきました。


-現実に逆らって逃げることはできませんね。それも自分の一部ですから。


イシグロ: もちろんそうです。究極的な言い方をすれば、私は我々が住む人間の状況の、一種のメタファーを書こうとしていたのです。幸運であれば、七十歳、八十歳、恐らく九十歳まで生きることができますが、二百歳まで生きることはできません。つまり現実には、我々の時間は限られているのです。いずれ老化と死に直面しなければなりません。確かに私は、このストーリーの中で、若い人がかなり早く年を取る状況を人工的に作りました。つまり、彼らが三十代になると、もう老人のようになるのです。でもこれは、我々がすでにわかっていることを、別の新しい観点から認識させてくれる方法に過ぎません。人生についての疑間や希望を、我々が実際に直面するものと同じようにしたかったのです。
こういう理由で、登場人物たちを状況から“逃亡”させることには魅力を感じませんでした。奇妙な科学的な操作をして、老化プロセスを逆行させようとしたがっている少数のクレージーな人はさておいて、我々の体がいずれは動かなくなるという事実から逃げることはできません。概して我々はそれぞれ違った方法で死をのがれようとします。死後の世界を信じたり、もっとささいな方法としては、作品を残したり、我々自身の記憶や、人生で達成したものを残したり、我々を愛してくれた人や友人の思い出を残すようなことをするのです。何とかして、ある程度は死を克服することができます。私はこの本の登場人物がそういう観点からしか、死について考えないようにしたかったのです。特にこの本の中心に、真の愛を非常にロマンチックな方法で見つけることができるという希望を置きたかったのです。こういうふうにしても死を打ち負かすことができる、これは、世界中のどの文化をみても存在する、一種の深い神話です。心中する恋人同士などについて、本当にロマンチックな話がたくさんあります。どういうわけか、愛は、死を相殺できるほど強カな力になります。愛があるからと言って、永遠に生きることはできませんが、どういうわけか、愛があると、死がどうでもよくなるのです。私はそれに相当するものがほしかったのです。それゆえ、実際の逃亡、物理的な逃亡には関心がありませんでした。


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311からずっと、それ以前よりぐっと内向的になる自分がいて、
より個人的で具体的なことへ向かうというか...
それは外圧に対する自我の抵抗なんだろうと思っていた。


でもほんとうは、無意識のうちに「死」というものに、
向き合おうとしている現れなのかもしれない。

これまで、どこか遠い話であったはずのシステムの暴挙が
ほんのすぐ近くまできているという「現実」を、
どのように受け入れるかに傾注している自分がいる。


死と向きあうということ、
つまり、今をどう生きるかということ。
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by cotomono | 2011-09-25 02:27 | Comments(0)

独立します。

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イタリアの人口600人の村、“独立”を表明
イタリア中部の山村が、国の緊縮財政策の一環として小村廃止が浮上したことに反発、「独立」と「独自通貨導入」を目指す方針を表明した。国の補助金削減や増税、歳出削減を押しつけられることへの反発もあり、ベルルスコーニ政権の財政再建をめぐる議論に一石を投じている。


このニュースを読んで、真っ先に井上ひさしの『吉里吉里人』のことを思い出した。
全編ズーズー弁で読みづらかったけど...

それから、同作家の未完の遺作『黄金の騎士団』に出てくる
子どもの国「ベンポスタ」のことも。

ベンポスタ子ども共和国は、テーマパークでもなければおとぎの国でもない、
スペイン政府が認めた正真正銘の独立国家だというから、おどろき。
詳しく知りたい方は、本をよむべし。




脱原発社会ってつまりのところ、脱依存社会だろうから、
ひとりひとりが、それぞれのやり方で、ちいさい単位で
「独立宣言」できるようになればいいんかなーと、
ざっくり思ったり。。。



そんなことを、ちっちゃい子どもだったころからいまに至まで
無意識に意識してたような気がする今日このゴロ。


ま、げんじつはかんたんじゃないけどね。
そうぞうだけはじゆうですからー。
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by cotomono | 2011-09-21 00:11 | Comments(0)

カメラバッグ:くろ

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新しいカメラバッグのいちばんの特徴は、外ポケット。

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撮影時の水分補給は欠かせないもの。
500mlのペットボトルがすっぽり入り、なおかつ外から見えないように、
立体的にしてフタ付きにしました。
内部にはカメラやレンズやストロボなど、水に濡れてはならないものを納めるので、
ペットボトルは、外でないとならないのですね。

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逆サイドのポケットは、薄くて重みのある携帯電話を取り出しやすいように、
浅めにしマチはまったくとらず、でも手を入れやすいように、
入口だけ若干ゆとりをもって縫い合わせています。また、外からは見えませんが、
携帯電話という貴重品をしまう場所なので、念のためマグネットボタンで
しっかり閉じられるようにしています。

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その結果、左右が異なるアンシンメトリーな形になるわけで、
デザインバランスとしてどうだろう?と最後まで不安がありましたが、
「albus」のタグを右に付けたことで、自分的には収まった感があります。


具体的に「こうしてほしい」というオーダーがあると、その分
より具体的なアイデアや技術が求められるので、とても勉強になりました。
そういう意味で、目的がはっきりしている「道具」としてのものづくりに
可能性を感じています。

ものづくりも来年で10年になり、いろんな意味で飽和状態にあるのですが、
ポケットひとつにしても、まだまだいろんな可能性が見いだせそうです。

雰囲気だけではなく、しっかり「思考」のあるものづくりをしたいなと
このカバンを作ったことで、改めて思いました。



:::::::::::::::::::::::::::::::::

【サイズ】
W40cm×D18cm×H24cm(構造部からファスナーまでの立ち上がり17cm)

【生地】
外:帆布(黒:撥水加工)構造部は補強のためテント生地を帆布に裏打ち縫い
内部仕切り兼ポケット部:テント生地(緑)

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by cotomono | 2011-09-14 21:10 | Camera bag | Comments(0)

くろくろ

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新しいカメラバッグ、黒。
これまで150点以上は作っていると思うけど、はじめての黒。
白とはまた違った難しさがあるけど、これにチャレンジしたことで
いろんな可能性がみえてきた。そしてプロダクトという意味では、
いちばんの完成度...(かも)。

やっぱり、できないことをやらなきゃな。
Sちゃんに感謝。


というわけで、オーダーものはこれでひとまずフィニッシュ。
これから2ヶ月半で展示会用に新作15点...

数だけみると、ほんとうにやれるのか?不安になるけど、
それはやっていくなかでしかわからんので、
やってきたことを信じて、やる。
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by cotomono | 2011-09-12 22:31 | Comments(0)

矛盾

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絣をイメージした新しいシルクパターンをデッドストックの生地にプリント。
版下はダーマトグラフ(紙巻)でいっこいっこ手描き。同じデザインでいま、
フィリピンのママたちに刺繍をしてもらってます。楽しみ。




週末納品を目指して、やや(い、いや、かなり...)手がかかるカバンを
少しづつ仕上げる日々。

9割方完成がみえたところで、おかしいことにハタっと気づき呆然。。。
楽でないこれまでの道程を思うと、ぎりぎり言い訳できないわけでもないし、
このままいってしまおうかとも思ったけど、、、
言い訳しながら作る「ものづくり」って、あんた一体なんなん?と我に返り、
いま来た道を戻り、糸を解く。


つまりのところ、
ものづくりとは、それの連続なのだ。

やり直せるか、どうか。
それを、積み重ねられるか、どうか。





閑話休題。

「福岡の福島応援店、放射能心配と出店中止に」とのニュース。
記事によると、「出店するなら不買運動を起こす」など、放射能に汚染された食品が
福岡に持ち込まれることを不安視するメール十数件と電話が、出店を計画していた
『九州産直クラブ』に多数寄せられたそうだ。


九州産直クラブのオーナー(現在も、変わってなければ)であるYさんとは、
私が前の仕事を辞めた直後、どうしていいか一番わからなかった頃に出会った。
それが縁でYさんが経営するロンドンのお店(食料品店)に、むりやっこ作品を
半年ばかり置かせてもらった。結果、小物が数点売れただけの惨敗であったが、
どこの馬の骨ともわからんものの「思い」を大切に扱ってくださり、
出会った人間に対し、責任ある大人としての「礼」を尽くして下さった。

もしかしたら売れた数点の小物は、かわいそうに思ったYさんが
買い取って下さったのではないかと、いまでも思う時がある。
そうして、遠回しに、ものを「商品」にすることの難しさと厳しさを、
教えてくださった気がしている。



詳しくは知らないけれど...
Yさんはかつて「この腐った世界を変えてやる」的、
バリバリの活動家だったそうだ。


でもある時期を境に、その方法を「仕事」に変えた。



どのような意図で今回の出店を考えられたのか、
真意はわからないけど。

支援といいつつ、中間マージンで生産者を買い叩くような
「仕事」では、決してなかったはず。




放射能汚染という現実を前に、「買う」とも「買わない」とも、
言える自由がわたしたちにはある。

と、同時にそれに慣れきってしまい、
「つくる」ことからあまりに遠くにあるという矛盾もまた、
引き受けるべき、現実なんだろうと思うのだ。
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by cotomono | 2011-09-09 02:54 | Comments(0)

本当のことが知りたいのです。

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70年前とさほど変わらないであろう日本記者クラブ(大本営)発表はもういいので、
現場に在る真のジャーナリストたちに、本当のことを知らせていただきたい。




1時間45分と長いですが、お時間のある方はぜひ。
2011/08/24 16:00〜17:45 鳩山由紀夫前首相主催勉強会
「上杉隆氏ら自由報道協会による原発事故取材報告」
@衆議院第二議員会館第一会議室

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by cotomono | 2011-09-02 23:38 | Comments(0)

「はじまり」のサイン

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白い布に、アルファベットの黒文字。
ただそれだけだけど、いろんな風景がみえてくる。



いいものが、つくれそうな気がする。


それがいつも、「はじまり」のサイン。




::::



『いま、地方で生きるということ』を、ゆっくり読みました。


やや挑発的なタイトルですが、「東京」対「地方」といった
安易な二項対立的な価値観のなかで語られているわけではありません。



自分に対する信頼が、心の中にあるんです


    自分は“機会”に身を置いている感じがする

 本当にオーガニックな状態になることが大事だと思うんです 

     
   東京に出ている友だちに、釜石に戻ってきてほしい


人間の自由度の量の問題ですね
 
  この場所とやれることを、まずは最大限やることが大事
 

 小さな単位を、もっと


問題が見えなくなるぐらい大きな力で、問題を包み込む

        自分の幸せを考えたこともないですね


   生物的な直感知や本能は大事にした方がいい



自分たちの場所を自分たちでつくってゆくこと




これは、この本のなかに出てくる人たちの「思い」
でも、そのなかのいくつかは、自分の言葉のように思える。

自分のまわりの大切な人に、読んで欲しい一冊。
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by cotomono | 2011-09-01 23:10 | Comments(0)