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ひらかれる方へ

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今日は「ピンぼけ映画コーナー」のための映画鑑賞会。
選んだのはブラピ主演の『イングロリアスバスターズ』
“上映開始4日間に限り、おもしろくなかったら返金します”のうたい文句だったけど、
正直、返金して欲しいと思った。そのくらい何も響かない映画だった。
確かにストーリー展開や小技は効いてたように思うけど、
単純にナチvsユダヤの憎悪の応酬劇としてでしか描かれてないように感じられたし、
肝心の人物背景などはあきれるくらいにはしょっていて、、、うーむ。
まぁ、娯楽映画に深いとこを求めるのが間違いなのかもしれないけど。
そんなんで、なんとも後味の残らない映画鑑賞会でしたとさ。



さて、日付も変わり2009年もおしまいの日となった。

今年は印象的なできごとがいくつかあったこともあり、これまで長らく
ぼんやりとしていたものや、させてきたことがはっきりと現れた一年だった。

それからちょうど一年前、「こうありたいな」と思ったことが、
不思議とそうなった一年でもあった。

もちろん、それはまだ表面をさらっと撫でた程度に過ぎなく、
ほんとうのところはまだよくわからないし、遠く届かない。
でも、それを求めて自分から強く手を伸ばしたわけではなく、
誰かに、なにかに、手を差し伸べられたように思うので、
それはやはり、わたしがやるべきことなんだろうなと思うのだ。


こないだ、初雪が降った日の夜更けに友達と珈琲を飲んでいると、
ふいに、「10年後はどうしていたい?」というふうに話しをふられた。
今年は、これまた不思議とこの「10年後」というやつを、
何度となく問われた年でもあった。

フリーランスで仕事をしていることもあってか、現在よりスキルを高め、
10年後へ向け、よりひとりでできることへのチャレンジを望む彼女とくらべ、
わたしはそういったことは何も浮かんでこなかった。

それどころか、ひとりではなにひとつかなわないことばかりのように思う。
10年前、こうありたいと願ったものに、なんとなく近づいている気がするいま、
ひとりでできることは、もうなにもないのかもしれない。

ものづくりは、自分自身でしかないように思うけれど、
それをつくる「自分」というものをカタチづくってくれるものは、
自分という「ひとり」では、到底ありえないものだから。

今年は至るところで、そんなことをよく考えた一年だった。


まぁ、そういって考えてばかりいてもしょうがない。


道はひからかれる方にしか進めないし、
ひらかれる方が、やはり道なんだろう。


来年も、だた感じるがままに。
ひらかれる方へ、ゆこう。
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by cotomono | 2009-12-31 03:12 | Comments(0)

それで、いいのだ。

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いやはや、なんやかんやと、今年もあと3日。

今日は、marcelloといづみさんで今年最後となる仕入れと一年のご挨拶をすませ、
郵便局でお年玉付き切手を買ったらようやく年末モードに突入。
しばし、ぼーっとする。(ま、ぼーっとするのはいつものことですけど...)

で、そのまま夕方までぼーっとしてたら、昨日納品したばかりのカバンに
不具合がでてしまったとの連絡があり、こりゃいかんいかんと慌てて修復道具一式を
抱えお客様のお宅へ。幸いなことに、カシメが外れていただけだったのですぐに
修復でき一安心。そのまま、居心地の良いのにまかせしばし楽しくおしゃべり。
いやぁ、カバンを買っていただいたうえに、こんなに心地良いひとときをいただいて
ほんとにわたしは幸せものだなぁ...としみじみ。

と、しみじみしてるうちに日もとっぷり暮れたので、もうひとつの修復の現場へ。

gramのワタナベさんに、4年くらい前に作ったキャンバス地のトートバッグが
だいぶ薄汚れてきてくたくたになっているというので思い切ってペイントをすることに。
生地にペイントするのは初めてのことで、わくわく半分どうしようもなくなったら
どうしようと、おそるおそる塗り始めるうちにだんだん楽しくなってきて、
なんとなくよい感じにペイントできて、ワタナベさんもなんとなく気に入ってくれたので
よかったよかった...(ってことに)

それからワタナベさんに冷泉公園のとこにある屋台EBIちゃんへおでんを食べに
行れていっていただいて、またここでもいろいろとおしゃべり。

ワタナベさんやEBIちゃんのご主人をみていると、
歳を重ねるって、たいへんで凄いことだけど、
本当にすばらしいことだなぁ...としみじみ思う。
わたしも楽しみだなぁ。



何者にもなろうとしないで、いいのだ。
ただ、そのままを生きれば、いいのだ。


わたしはわたし。
あなたはあなた。


それで、いいのだ。
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by cotomono | 2009-12-30 01:51 | Comments(0)

ありあまる富

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納品を明日に控え、朝から椎名林檎を聴きながらオーダーものにかかる。
三文ゴシップ、遅ればせながらめちゃめちゃかっこいい、そして
「ありあまる富」は今年、何十回繰り返し聴いたことか。

“価値はいのちに従ってついている” はい、りんごちゃんのいうとおり。


それから、きょう12月27日は、
イスラエルのガザ(パレスチナ)攻撃から1年という日でもある。
云うまでもなく、激しい戦闘状態が停止しているというだけで、
現在も世界から隔離され、負の連鎖はいまもなお続いている。

平和な日本に暮らしながら、かの地の痛みを思い続けるというのは容易いことではなく、
小さな存在にすぎない自分にいったいなにができるだろうかと、ちっぽけな頭で考えた。
1年前、こんなにも心が揺り動かされたことに対して、戦闘が止んだからといって、
「はい、ひとまずよかったね。」なんて、かんたんに視線をそらしてしまうなんで、
そりゃあんた、うそやろう?と思ったし、そんなふうに、世界にあふれる
「悲しいできごと」のひとつとして消費してしまうことが何より怖かった。

それで、そんな自分をどうおさめようかと思いあぐね、
結局、安易ながら寄付という方法を選んだ。
寄付といっても、Give Oneを通じて、毎月ほんとうに微々たる額を
現地で活動するNPOに寄付しているだけなのだけど、継続することが、
現在のわたしにとっては大切なことのように思ったのだ。
もちろん「行動」というものでそれを続けていけるのがベストなことはわかっている。
でも、わたしにそんな力はない...


昨日、gramで髪を切ってもらいながら『暮らしの手帖』をぺらぺらめくっていたら、
「世界の富と貧困」という記事があり、そのなかに自分の所得を入力すると
世界における自分の富(資産)がいかほどなのかがわかるサイトが紹介されてあったので、
家に帰り、興味本位で調べてみた。→ Global Rich List

わたしは、日本の貧困層と呼ばれている年収200万円以下の所得しかないけど、
予想どおり、世界のなかでみればわたしは十分にリッチマンということだった。
先進国だけで世界の富の上位11%を占めているのだから、当然の結果だけど。

そんな先進国のなかで、寄付の額(文化)が著しく低いのが日本らしい。
トップのアメリカでGDP比1.67%(2005年調べ)。ついで、イギリス、カナダ、
オーストラリア、アイルランド...10番目のフランスで0.14%で、日本はもうずっと下。
もちろん、アメリカなんかは超大富豪からの破格の寄付があったり、
寄付金への優遇税制や宗教的観念などがその要因となっているのはわかるけど...
なんというか、寄付という文化ひとつをみても日本人は圧倒的に社会というものに
接する面が狭い気がする。

いや、「社会」とかたいそうなもんじゃなくていい、
ただ、「他者」というものにたいしての想像力。

つながる、ちから。




りんごちゃんが唄った「ありあまる富」の「それ」は、
お金や地位や名声を唄ったものじゃない。


そんなものでは及びもしない、犯されようもない「富」が、
ぼくらには、ある。




それは、減りようもないじゃない?


だったら、ほら。
手放してみればいいよ。
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by cotomono | 2009-12-27 15:52 | Comments(2)

朝の風景とクリスマス

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朝、おなかに痛みを感じて目が覚める...
これは無理せずに今日はゆっくりコースでいこうと、
着物屋さんに電話を入れて1時間遅く家をでる。

いつもと変わらないようでいて、1時間違うと、行き交う車の数も
すれ違う人の顔も、立ち止まる信号のタイミングも違って、なんだか新鮮。

「袖すりあうも多少の縁」というけれど、
この広い世界のなかで毎朝すれ違う人というのは実はすごい出会いなのかもなぁ...
なんてことを思いながら、すこし急いで自転車を漕いでいると、
見慣れた公団のまえで、見覚えのある顔と出くわしびっくり。。。
介護ヘルパーをしている友人が、ちょうどお年寄りをデイケアの車に誘導しているとこ
に遭遇したのだった。働いている姿をみた新鮮さとあまりに突然のことに、
お互いびっくりで、「おはよう」としか言いようがなかったけど、
なんだ、1時間違うだけで実は毎朝すれ違っていたのね、と思うとなんだか急に笑いが
こみ上げてきて、おなかが痛いのも忘れて元気がでてきた。
たまには、こうして「日常」というやつをずらしてみるのもいいもんです。


さて、昨日はクリスマスイブ(今日はクリスマス)ということで、
保育園から中学校までのお子さんたちのいる着物屋さんのお母さんたちは、
朝からその話題でもちきり。

こどもを喜ばせようと、いわゆるサンタさんになりすまし、
夜中にプレゼントを枕もとに忍ばせるパターンを実行したらしいけど、
小中学にもなれば、まぁ、もう当然こどももわかってるわけで、
プレゼントを置いた途端、包みを開けはじめちゃったり、
欲しいゲームじゃないと、交換を要求されたりと、と散々だったらしい(笑)
まぁ、現代っ子らしいといえばそうだけど、なんだかもうパッケージ化している
クリスマスに親のほうが夢を求めるのも無理な話しなのかもなぁ...と思う。

そんな現代版クリスマス夜話しをふむふむと聞きながら、
将来、自分が親になったとして、こどもにどんなクリスマスをプレゼントできるかと
想像してみるけど、なんらいいアイデアは浮かばなかった。

できることなら、商業パッケージ化されたものは与えたくないけど、
「思いで」としてのクリスマスケーキやプレゼントをいうものを全否定するのも
すこし違う。じゃぁ、クリスマス本来の由来や、商業化されている「それ」の真実を
とくとくと説いたところで、こどもの喜ぶ顔はみれないだろうし。
つまりのところ、大人は何もできないのかもしれない。

唯一してあげられるとしたら、
こどもの想像力に余白をもたせてあげることぐらいで、
それからむこうは、やわらかなこどもの感受性に委ねるほかない。

考えるのは、もっとあとでいい。
こどもであれるうちは、感じて、感じて、感じてくれたらそれでいい。

そんなことを思うクリスマス。




そして、いつの日か、世界中のこどもたちが
平和であたたかなクリスマスが迎えられますように...


かつてこどもだった大人たちは、
考えなければならないだろう。


Happy Xmas (War Is Over)
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by cotomono | 2009-12-25 20:47 | Comments(0)

翻訳できます

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excite.に翻訳機能があることを知り、さっそくパーツを設定。
しかも英語だけじゃなく、中国、韓国、フランス、ドイツ、イタリア、スペイン、
ポルトガルと、、、す、すごい...。
ときどき、海外からのアクセスもあるようなのでこれは本当に便利。

どこからこんなローカルなページに辿り着いたのか不思議なのだが...
すこし前、海外にお住まいの方から英語でコメントをいただいたのだけど、
単語からなんとなくおっしゃてることはわかっても、それにお返事することができず、
英語の先生をしていた友人に通訳をお願いしてなんとかしのいでいたのだけど、
この翻訳機能を使えばらくらくだわー。
しかも、原文と一緒に翻訳も表示できるのでちょっとした語学勉強にもなる。

いやー、すごいです!
それだけで、世界がひろがった気がするもん。
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by cotomono | 2009-12-24 22:22 | Comments(2)

もくもくぼー

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きょうこそは...と、朝から遅れ気味のオーダーものにとりかかかる。
いまさらながら、手のかかる作りにしてしまったことを少し悔やみながら、
しーんとした冬の光が差し込む、ひんやりとしたフローリーングに座りこみ、
青い糸でひたすらしつけ縫いをしてると、ふと懐かしい気持ちに襲われる。
こどもの頃、たぶん3歳になったかならないかぐらいの、遠い記憶。

やわらかい光が差し込む寒い日の縁側、やはり冷たかった板張りに座って
ひとりでもくもくとハサミで紙を切っていた。
お母さんの気配はあるけど近くにはいなくて、でもすこしも寂しくなく、
どちらかといえばほっとしていた。そして、そのもくもくとした時間のなかでは、
こどもとかおとなとか、おやとかことか、そういう領域を越えた不思議な、
でもたしかな感触が小さいながらにあった。その感触が、わたしにとって
居心地の良い記憶として深く刻まれているのだろうなぁ。。。と遠い記憶を
ぼんやり辿っているうちに、裁断ミスに気がつかないまま内布を
縫い合わせてしまい、いちから作り直しするハメに... ふぅ。

まぁ、なにはともあれ、そういうもくもくした時間とかぼーとする時間が
こども時代にいっぱいあってわたしはほんとに幸せだったな。
その記憶がなかったら、いまこうしていられなかったと思うから。
おやに感謝しないと。
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by cotomono | 2009-12-23 22:27 | Comments(0)

何ものにもなってないとこがいい

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今夜はRさんと、徒歩3分のところに井上陽水をみにゆく。
夏にNHKで井上陽水の40年て番組をみて、これは本人が元気なうちに
ほんものをみとかないと!と息込んでチケットをとったおかげで
わりと良い席で陽水ワールドを堪能。噂どおり、トークおもしろかった!
お客さんは陽水と同世代が大半で、最後まで椅子にこしかけゆるくいくのかと
思いきや、後半に入りひとりふたりと立ちはじめ最後は総立ちになって大盛り上がり。
どの曲も聞き惚れたけど、氷の世界〜最後のニュース〜少年時代〜夢の中へ〜傘がない
のながれは圧巻でした!

どこからどこまでも、あますとこなく井上陽水なんだけど、
「40年やっても、何ものにもなってないとこがいいよねー、ふふふ」と、
自分のことをいつまでもおもしろがれるとこがたまらなくすてき。

わたしもそうありたいもんです。
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by cotomono | 2009-12-22 23:33 | Comments(0)

だんだんと...

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きのうきょうと、午前様...(というか夜明けまえ)
今日こそはオーダーものを仕上げないとと思いつつ、眠いのと寒いので
布団から抜けられず、けっきょく夕方までごろごろしてしまった...
あぁぁぁ、ごめんなさい。。。年末年始こそはきっとがんばりますから。


さて、昨夜はorganさんで蚤の市をちらっとのぞいたあと、
いつもの面々が集うシロクマ亭へ。
ホットプレートでお好み焼きやら焼きそばやらしながら
来年で10年目を迎えるというNGO、『ジュビQ』のこれまでとこれからを
座談会形式でごにょごにょと。

ちなみにジュビQとは、、、
第三世界諸国の債務(借金)の帳消しを求めることを中心として、
南北問題や開発援助についての政策提言、市民へのキャンペーン活動を進めています。
特に経済が様々な分野にもたらす影響について、市民の立場から考えるための場と
情報を提供するために活動する国際協力NGOです。



わたしはちゃんと会員になったのもここ3年くらいで、ときどきお手伝いする程度。
みんなが「これまで」を話してるのをうたた寝しながら聞きながら、
10年前のわたしを思い出していた。

その頃はいまのように社会的な問題には気もとめずひたすら自己を追い求める日々。
でもそうやって、どこまでもどこまでも内(自分)を突き詰めた結果、
もう外(社会)に出ざるを得なかったというのがわたしと社会とのはじめての接点。

わたしが存在するこの社会がやはりわたしであり、そこをスルーしてこれ以上
わたしを知ることはできないと気がついたのであった。

それからは、ある意味未知の世界であった「社会」というものを知ろうと無我夢中だった。
いまのように、それを教えてくれる人たちも近くにいなかったので、可能な限り本やネット
で情報を探し知識をさらい、気になる場所にはひとりで飛び込んでいった。
いま思えば、なんであんなことができたのか不思議だけど...

そんな、藁をもつかもうとする日々のなかで、ジュビQのなかまであり、
いまやかけがえのない友であるみんなとの出会いのきっかけとなったのが、
花森安治の『暮らしの手帖』でみた「世界社会フォーラム」の記事だった。
こんなオルタナティブな世界があるのかと、よくわからないままに希望だけが溢れてきて
とにかくそのことが知りたくて知りたくて、勝手にからだが動いているうちに
いまに至る出会いというものがあった。

7年前のことだ。
でも、もうずっとまえのことのような気もする。
そして、ものづくりをはじめたのも、ちょうどその頃だった。


この7年、外を知りながら、内をつくり、
だんだんと、わたしはわたしになってきたような気がする。

外はひろく、内はふかい。
これからも、そんな果てしない日々はつづく。



いろんなものをすっとばして、
いっきに、届いたら、どんなに楽だろう。


でも、やっぱり、だんだんが、いい。


そのことを、
かけがえのない人たちが、わたしに教えてくれる。

7年前、誰も教えてはくれなかったものが、
いまのわたしにはある。


それが、なによりの宝だ。
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by cotomono | 2009-12-20 21:11 | Comments(0)

雪の日の思いで

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今年はじめての雪が吹くなか、昨日は夕方から九州大学箱崎キャンパスへ。
箱崎千年会議というプロジェクトの一環で、「ロングライフデザイン」をキーワードに、
ナガオカケンメイさんの話しを聞きにゆく。

ナガオカさんがやっていらっしゃることは、テレビとかでなんとなーくは知っていたけど、
やっぱり、ご本人からお話を伺うとぐっと気持ちが動かされる。
ムーミン谷の住民みたいな風貌をして、雨が降ろうが槍が降ろうが、
「いやいや、ぼくはこうですから」を貫き通せる独立心と、
一人遊びに没頭するこどもみたいな、ごく純粋なまなざしをもってる人だなぁと。
そんなナガオカさんの不思議な引力にぐいっとひかれて、まったくそんな気はなかったのに
質問コーナーでは、いちばんに手があがってしまったわたし...(笑)
おかげで講演会後に「はじめに質問した方ですよね?」といろんな方に声をかけてもらえて
お話するチャンスができたのでほんとにラッキーでした。

九大の講演会のあとは、ずっと気になっていた写真ラボalbusのなかにあるデリで懇親会。
albusの酒井さんとは、いちおこれがはじめましてだったけど、
「つながりつながる」のなかで、やっぱりつながっていた人であり、
こうしてお会いすることができて、ほんとうによかった。

ナガオカさんを囲んでの懇親会に集まった方々は、主にmixiのコミュの方々で、
わたしはもちろん全然知らない方ばかりだったけど、美味しい料理とお酒と、
いろんな方といろんな話しができて、ほんと楽しかったなぁ。


夜も更け、街はまだまだ雪のなか。
albusの前でみんなで記念撮影をして、きょうの日を終わる。
「雪の日の思いで」ができたみたいでうれしかったので、
こんど、酒井さんに一枚焼いてもらおう。


なんというか、
みんな、それぞれがもっている「ほんとう」をほんとうにしてゆければ、
その先にすばらしい日々がつづいてゆく気がした。


だから、
わたしも、わたしの「ほんとう」を。
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by cotomono | 2009-12-19 14:43 | Comments(0)

眠いあたまに思う。

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今週に入って急に寒くなったからか、
いちにちアイロン掛けした後はほんとに眠くて仕方ない。
なので、帰ったらすぐゴハンの支度をして食べて夜の7時半にはお風呂に入り
8時半には布団へもぐり9時過ぎには就寝という...小さな子どもみたいな生活。
でも、変な夢をみてしまい、たくさん寝てる割には眠りが浅く結局は眠い。。。
ちなみに昨夜の夢は、冷蔵庫にケーキがひとつ残っているのに、それを忘れて
またひとつ買ってしまい、あぁ、しまった、また食べきれない...と悔やむのを
延々繰り返すという、ほんとにくだらないけど飽食の現代を象徴するかのような夢。
で、ぐっと疲れて目が覚めるのだ... あぁ。

まぁ、とにもかくにも今日も眠いので、早めにお風呂に入ろうとしていると
『派遣村から1年、何が再起を阻むのか』という番組があっていたので、
ちょっと気になりテレビの前に。

そこに映し出されていたのは、1年たっても未だ正社員になれない人と、
運良くなれた人を対比させ、雇用対策やセーフティネットを充実させないといけません!
と、いつもと同じ調子で繰り返すばかり。
いやいや、もうずっとそればっかりいってるし...と眠いあたまでつっこみをいれつつ、
政府の政策チームにもコミットしているらしい大学の先生の言葉が少し気になった。

その先生曰く、これからは外貨を稼ぐグローバルな攻めの仕事ではなく、
地域を守る、農業や伝統産業、観光や介護などの仕事を創出することが肝要だと。
それはまさにおっしゃる通りなんだけど、その守りの雇用を創出すると同時に、
地域を循環させ活かす通貨(お金)が本当に必要になってくるんじゃないかな、と。

生涯をしあわせに生き抜くために、いったいいくら稼げば、いくら蓄えれば、
わたしたちは「安心」できるのだろう?
それを思うと、本当に途方も無い気がしてくる。
いまのわたしにとってはまったく想像ができない未来だ。
おそらく、多くの人にとってもそうだろう。
そんな不安な未来のために、銀行(プラス利子)にお金を預けることを余儀なくされる。
家に金庫を持ちそこにお金を貯めてる人など、ほぼいないのが現実だ。
へそくりだって、ハイリターンを求めてどこぞに投資する時代なのだ。
(そもそも、貯め込むことに問題があるのだけど...)
そして、銀行に預けている、そのお金の行方こそが問題なのだ。

いま、世界中で動いているお金の95%以上が実態経済のモノやサービスの取引に
対応したものではなく、実体経済とは対応しない単なる金融取引に使われている。
お金がお金を生む投機マネーがこの世界を覆い、お金はより高いリターン(収益)へと
流れていく。その結果、資金(本)力のない国ではインフレが起き経済(国)が破綻。
立ち行かなくなった国は、破綻を避けるための資金をお金持ちの国々がつくった世界銀行
(IMF)に求め、IMFは構造調整プログラムという高金利政策を強要。
もちろん、金利が高くてはお金を借りて事業をはじめる人などおらずますます経済は悪化。
あげくの果てにIMFは、その国が社会保障や保健衛生などの社会に還元させるはずのお金にまで手をつけさせ、ただ、生きることさえできない人々が世界には溢れている。
いや、この日本にだっておんなじ状況をみることはできる。対岸の火事ではないのだ。

すこし、ざっくり書きすぎたかもしれないけど...



とにかく、わたしたちはいちど、
お金というものを、銀行というものを疑ってかかる必要がある。

いち個人の価値観から世界の在りようまで、人間が生きてゆくことのすべてにおいて
嫌が追うでも、経済活動(お金)と結びつかないものはないのだから。



経済とは本来、経世済民(けいせいさいみん)
「世を經(おさ)め、民を濟(すく)う」の意味があるのだという。

いま世にはびこる経済が、世を乱し民を貶めるものであるならば、
わたしたちの手で本来の姿に戻すことができるはずであると信じたい。

どこかの証券会社が「お金のはなしをしませんか?」といってたけど、
そろそろ、「ほんとうのお金のはなし」をはじめたいところだ。

なんてことを、眠いあたまに思う。
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by cotomono | 2009-12-16 22:54 | Comments(0)