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きりん

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昨日は、本屋さんでルーシーの作品集と村上春樹の文庫本を買ってから、
地下街にある「KIRIN」って店で夕ごはんを食べた。
はじめてのお店だったけど、屋内版ビアガーデンって感じで
見渡す限り中高年ばっかり。
でも、この雰囲気けっして嫌じゃなくどっちかといえば好き(笑)
70は近いだろう、おじじおばばがキャーキャーはしゃいでる姿は
うらやましくも思える(笑)わたしもはやくああなりたいもんだ。
ちなみにここのレシートを持ってくと、提携してるシネテリエ天神で
映画が1000円でみれるとかで...ちょっとハマりそうな店。
それからアイリッシュバーでいちじくをアテに久々に夜更けまで話しこむ。
だんだんと本音で話せることが少なくなってると感じる今日この頃。
根底にながれているものが同じだというだけで、救われる気がする。


今日は雨音につられウトウトしながら
『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』を読みはじめる。

エルサレム賞では、ほんとにいいスピーチをしてくれたと思う。



以下、全文を転載::::::::::::::::::::::::::::::



いつも「卵」のそばに         村上春樹

 本日、僕はここエルサレムに、プロフェッショナルな
「嘘」の紡ぎ手、すなわち小説家としてやってきました。

 もちろん、嘘をつくのは小説家だけではありません。
政治家もまた、嘘をつきます(これは皆さんよくご存じ
ですよね)。外交官も、軍人も、機会さえあえば、中古
車のセールスマンや肉屋、建築業者であっても、彼らな
りの嘘をつきます。しかしながら、小説家のつく嘘は、
彼らの嘘とは違います。彼らが嘘をついた時のように不
道徳だと責め立てられることはありません。それどころ
か、小説家の嘘が器用であればあるほど、世間や批評家
たちからより大きな賞賛を得ることができるのです。

 これはなぜでしょうか?

 僕なりの答えはこうです。つまり、小説家によってつか
れた巧妙な嘘は、あたかも本当のように見えるフィクショ
ンを作り出すことによって、新たな場所に「真実」を導き
出し、その真実に新しい光りを照らすことができるからで
す。

 多くの場合、「真実」をもとのかたちのまま理解し、正
確に表現することは事実上不可能です。だからこそ僕たち
小説家は、その隠された場所から真実を誘い出して尻尾を
掴もうとし、フィクションの位置に移し替え、フィクショ
ンのかたちにそれを作り替えるのです。しかしながら、僕
たちがこれを達成するためには、まず最初に真実が僕たち
のどこに属するのかを、はっきりさせる必要があります。

 これが、上手に嘘をつくための重要な資質です。

 けれども本日、僕は嘘をつくつもりはまったくありませ
ん。それどころかできるかぎり正直でいようと努めます。
僕にだって年に数日は嘘をつかない日があるし、今日はた
またまその日なんです。

 ですから今日は、どうか皆さんに本当のことを言わせて
ください。

 本当に多くの人々が、僕に「エルサレム賞を受け取りに
行くな」と忠告してきました。或る者は、もし僕が受賞す
るなら僕の本に対してボイコットを扇動すると警告さえし
ました。

 その理由はもちろん、ガザで激しく続いていた戦闘です。
国連のレポートによれば、封鎖されたガザ地区では1000
人以上の非武装市民——子供や老人たちが命を落としました。

 受賞の通知を受け取ってから、僕は何度も何度も自問しま
した。「こんな時期にイスラエルにまで旅行して、文学賞を
受け取ることは適切な行動なのだろうか?」、「僕はどちら
か片方を支えることになり、圧倒的な軍事力を行使する国策
を是認したと思われやしないか?」。

 もちろん僕は、そんなふうに受け取られるのは御免です。
僕はどのような戦争にも賛成しないし、どのような国家も支
援しません。そしてむろん、僕の本がボイコットの憂き目に
あうのを見たくはありません。

 しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ること
を決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、
あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったこ
とです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天
の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをし
ないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたく
なる傾向があるのです。

 あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれま
せん。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連
中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じ
ることができないのです。

 それが今日、僕がここにいる理由です。

 僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすより
も見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりまし
た。

 これは僕がいままさに、政治的なメッセージを伝えにきた、
という意味ではありません。もちろん、あることについて正し
いのか、間違っているかの判断をすることは、小説家の重要な
義務のひとつです。

 けれども、こうした判断をどうやって他の人々に伝えるかを
決めるのは、それぞれの書き手に任されています。僕自身は、
そういったことを物語、それも超現実的な物語に移し替えて示
すことを好みます。これが今日、僕が直接的な政治的メッセー
ジを伝えないにもかかわらず、皆さんの前に立った理由です。

 しかしながら、どうか皆さん、ここで非常に個人的なメッセー
ジを送らせてください。これは僕がフィクションを紡ぐ時、常に
心に留めていることです。僕はそれを一枚の紙切れに書いて壁に
はっておくというよりもむしろ、僕の「心の壁」に彫りつけられ
ていること……それはこういうことです。

「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”が
あるとき、僕はいつも卵のそばにいる」

 ええ、どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違ってい
ようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。どこかの誰かが「何
が正しくて、何が間違っているのか」を決めるとき、それはおそ
らく時間と歴史が決めるのでしょう。けれどもし、どのような理
由があろうとも、壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとし
たならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?

 このメタファー(暗喩)はいったい何を意味しているのでしょ
うか? それはいくつかの場合において、とてもクリアで単純で
す。高く固い「壁」とは、爆撃機であり、戦車であり、ロケット
砲であり、白リン弾です。そして「卵」とは、それらに壊され、
燃やされ、撃たれる非武装市民……、これがその暗喩が意味する
ことのひとつです。

 けれどもそれがすべての意味というわけではありません。もっ
と深く考えることもできます。こう考えてはどうでしょう。僕た
ちひとりひとりが、多かれ少なかれ「卵」なのです。僕たちは唯
一かけがえのない魂を内包した、壊れやすい殻に包まれた卵なの
です。これは僕にとっての真実であり、皆さんにとっての真実で
もあります。そして僕たちはそれぞれ——多少の違いはあっても
——高くて固い壁に直面しています。その「壁」の名は、そう、
「システム」です。システムは僕たちを守りを固めるためのもの
ですが、しかし時折自己増殖して、冷酷に、効果的に、システマ
ティックな方法で、僕たちに殺し合いをさせるようし向けます。

 僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人
の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目
的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、そ
の品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打
ち鳴らすことです。

 僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟
哭や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけ
がえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説
家の仕事であると。

 僕の父は昨年、90歳で亡くなりました。彼は教師をリタイヤし、
たまに僧侶として働いていました。彼が大学院にいた頃、軍隊に
招集され、中国戦線に送られました。戦後生まれの僕は、彼が朝
食前に必ず家の仏壇の前で深く祈りを捧げる姿をよく見かけまし
た。ある時、僕は父に「なぜお祈りをするの?」と訪ねたところ、
彼は「戦争で亡くなった人のために祈っている」と答えてくれま
した。

 彼は敵味方の区別なく、すべての人のために祈りを捧げている、
と語っていました。仏壇の前で正座する彼の背中を見ると、僕は
彼に死の影がまとわりついている、と感じました。

 そんな僕の父も、彼の語った思い出とともに死にました。僕は
もうその思い出を知ることはできません。けれど、彼のまとって
いた死の存在感は、僕の記憶に残っています。それは彼が僕に遺
してくれた数少ないなかのひとつ、そして最も重要なものです。

 僕は今日、皆さんにお伝えしたかったことはただひとつです。

 僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個
人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する「卵」だと
いうことです。どう見たって僕たちに勝ち目はなさそうです。壁
はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷たい。
もし僕たちに勝利の希望がいくらかあるとすれば、それはかけが
えのない独自性を信じ、自分と他の人々の魂とを互いにつなぎ合
わせた「暖かさ」に頼るしかありません。

 少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態
のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕
たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕た
ちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。シス
テムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作った
のです。

 これが今日、僕が皆さんに語りたかったことのすべてです。

 僕はエルサレム賞をいただいたことに感謝します。僕は世界中
の多くの地域で僕の本が読まれていることに感謝します。そして
今日ここで、皆さんに語る機会をもらえたことにもまた、感謝し
ます。
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by cotomono | 2009-02-22 23:01 | Comments(0)

『死刑』を読んで

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この社会の本質は当事者性ではなく、他者性によって成り立っている。
大多数の人にとって当事者性はフィクションなのだ。
ただしフィクションではあるけれどもとても大切なこと。
人はアンネフランクの日記に慟哭し、ハリーポッターの冒険に手に汗を握る。
そうやって世界は有機的に繋がりながら歴史を重ねてきた。
でも同時に思うこと。人は当事者にはなれない。
大多数の人が他者であり第三者だからこそ、この世界は壊れない。
当事者の感覚を想像することは大切だ。
でも自分は他者であり第三者であることの自覚も重要だ。
だって当事者ではないのだから。



これは『死刑』のなかの森 達也 氏のことば。

まもなく裁判員制度がはじまるからではないけど。
読後、ものすごく考え込まされる一冊。

そもそも、制度(システム)としての「死」を
当事者になった経験のないわたしに判断ができるとはまったく思えず、
おそらく、多くの人がそうだと思う。

でも、今年の5月からは制度として課せられるわけで...
やっぱり、今さら裁判の模擬体験をさせるよりかもっと、
制度のとしての「死」とはどういうことなのかを公にし、ひとりひとりに
考える機会をもってもらうことの方が大事なんじゃないのかなぁ。
このままではあまりにも遠く、誰も救われないような気がする。

エルサレム賞での村上春樹のスピーチにもあるように、

わたしたちひとりひとりは、
制度にはない、生きた精神を持っているのだから。
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by cotomono | 2009-02-19 00:46 | Comments(0)

村上春樹

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村上春樹が「エルサレム賞」を受賞し、現地でスピーチをしたそうで。

この受賞に関しては、ボイコットを求める声もたくさんあがっていて、
その気持ちもわからないでもないけど、そうしてしまうとまるで対話を断って
しまうようにも思えてしまい、政治的な動きとは別に授賞式に出て
スピーチすべきだとわたしは思っていたので素直にうれしく思った。
(もちろん、スピーチの内容に救われるとこがあったからだけど...)


遠くまで、
届く声をもてる人は遠くまで、
その声を届けて欲しい。



【エルサレム16日共同】
作家の村上春樹さんが15日行った「エルサレム賞」授賞式の記念講演の要旨は次の通り。

 一、イスラエルの(パレスチナ自治区)ガザ攻撃では多くの非武装市民を含む1000人以上が命を落とした。受賞に来ることで、圧倒的な軍事力を使う政策を支持する印象を与えかねないと思ったが、欠席して何も言わないより話すことを選んだ。

 一、わたしが小説を書くとき常に心に留めているのは、高くて固い壁と、それにぶつかって壊れる卵のことだ。どちらが正しいか歴史が決めるにしても、わたしは常に卵の側に立つ。壁の側に立つ小説家に何の価値があるだろうか。

 一、高い壁とは戦車だったりロケット弾、白リン弾だったりする。卵は非武装の民間人で、押しつぶされ、撃たれる。

 一、さらに深い意味がある。わたしたち一人一人は卵であり、壊れやすい殻に入った独自の精神を持ち、壁に直面している。壁の名前は、制度である。制度はわたしたちを守るはずのものだが、時に自己増殖してわたしたちを殺し、わたしたちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる。

 一、壁はあまりに高く、強大に見えてわたしたちは希望を失いがちだ。しかし、わたしたち一人一人は、制度にはない、生きた精神を持っている。制度がわたしたちを利用し、増殖するのを許してはならない。制度がわたしたちをつくったのでなく、わたしたちが制度をつくったのだ。

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by cotomono | 2009-02-16 22:07 | Comments(0)

ちよこれいと

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下唇のまんなかに口内炎ができてしまい、汁ものがしみて仕方がない今日このごろ。
サービス券をもらったので、昨日は久しぶりにお寿司を食べに行く。
お寿司7貫サービス券+500円割引券を2枚使って、その他にお寿司10貫と
生ビール2杯と茶碗蒸しを2つ頼んでおなかいっぱいに。
しかもお支払いが1048円と信じられない安さだった。
たぶん、レジの女の子が計算間違いをしちゃってるんだろうけど、
いやぁ、らっきーらっきーとお店を後にした。



さて、きのうはバレンタインデー。
年に1度、チョコレートについて考える日ということで、
フェアトレードのチョコレートを。
アムネスティのサイトから取り寄せることができます。


ちいさくてささいなことかもしれないけど、
できることからこつこつと。
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by cotomono | 2009-02-15 20:26 | Comments(0)

きょうのできごと。

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ルーシーをみに、思い切って東京へ行くことにした。

個展場所が決まったすぐあとに、ルーシーのことを知って
“ぐわわっ”とイメージが湧いてきたので、これはやっぱりみにいかんと。
(そうやって自分の背中を押してやらんと...ってのもあるけど。)

というわけで、ルーシーは来月のお楽しみってことで
今日もいちにちオーダーものの針仕事をがんばった。
リネンの丸底タイプの鞄は個展以来、頻繁にオーダーを頂いていて、
今日つくったのもそのタイプ。

以前は、1点ものにこだわってたところがあって同じものをつくることに
抵抗を感じていたけれど、こうやって少しずつスタンダードになり得るものが
つくっていけるようになるのは、それはそれで大きなことだなぁと思う。
まぁ、でもそれに甘んじず、すこし高いハードルを掲げ、
自由につくる歓びをもっていけたらいい。

今日はもらいものの古着のキモノを解いてスカートもつくった。
これがまた超かんたんで、めちゃんこかわいい。
ルーシーへは、これを着ていこ。
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by cotomono | 2009-02-11 23:31 | Comments(0)

気になることがあると、

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ずっと、そのことばかりを考えてしまう。
明日は本屋をまわってルーシーの作品集を探してみよう。
作品だけでなく、ルーシーの人と也が知りたい。

あぁ、そしてやっぱり実物がみたい。
こんな気持ちは久しぶり。
東京いっちゃおうかしらー。
21_21 DESIGN SIGHT
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by cotomono | 2009-02-10 22:57 | Comments(4)

Lucie Rie

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昨夜、『美の巨人たち』という番組をみて、
はじめてルーシー・リーという陶芸家を知った。

画面越しながらその質感と色合いにすっかり魅了されてしまい、
今日、望雲さんで濱中史朗さんの器をみせてもらってるあいだも
ずっと、ルーシー・リーの器のことを考えていたくらい(笑)

わたしもあんな色合いに生地を染めてみたくなった。
そして、今年の個展はいろんな色に手染めした鞄を、
より自由につくってみたい。

うれしい、わくわく、する。




「良いもの」とは、
人に金を出す気にさせるものであるよりも、
自分でも何かをつくってみたいという気にさせたり、
つくる喜びを人に分け与えるようなもの。

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by cotomono | 2009-02-09 00:31 | Comments(2)

レインボー

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映画のお知らせです。
ガザを舞台にしたドキュメンタリー映画『レインボー』が上映されます。

(以下、転載)
::::::::::::::::::::::::::::::::::

■「パレスチナって何?―いま、何が起こっているの?―」
【日時】2月11日(水)14:30開場 15:00~17:00(18:00~懇親会)
【会場】九州大学国際ホール(地下鉄箱崎九大前駅下車、徒歩5分)
【参加費】無料
【映画】◆「レインボー」(2004、41分)アブドゥサラーム・シャハダ監督。
ガザを舞台にしたドキュメンタリー映画。
2004年5月のイスラエルによるガザ侵攻作戦に見舞われたガザの人々の痛みを
芸術性高く描く。
2005年アース・ビジョン第14回地球環境映像祭アース・ビジョン大賞受賞作品。
【講演】◆藤永香織さん
早良区在住。ガザ地区でパレスチナ人と結婚。
夫は現在ガザ地区に在住。パレスチナの自立支援、雇用創出に取り組む。
◆オサーマ・アル・ジャマルさん
パレスチナ・ガザ地区出身。2002年より家族と共に福岡市在住。
九州大学工学府博士課程在籍。
【問い合わせ】レインボー上映会実行委員会
〈メール〉whatispalestine211@gmail.com
〈電話〉090-6832-6667(藤原)

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by cotomono | 2009-02-07 23:45 | Comments(0)

tetra

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今年の個展場所が決まった。
まだ、9ヶ月も先のことだけども、決まった。

去年、はじめての個展がかなりハードルが高かったので
今年は、ふらっとできるところを探していて。

こぎれいなギャラリーでもなく、
ネームバリューのあるお店でもなく、
ただの、箱のようでいて、
建物自体にストーリーがあるような、
隠れがのような場所を探していたら、
ものすごく近くにあった。

つくづく、博多の下町に暮らしていて良かったと思う。



しかも、対応してくださったスタッフの方は
わたしと同じ町内に住んでいらして、
とってもとってもご近所さんでびっくり。
30分ばかりお話させてもらっただけだけど、
感性が近しいというか、昔から知ってる人みたいだった。

普段、ほんとうに出不精でかなり片寄った暮らしをしてるけど、
こうやって、ときどき出会う人がいい出会いになっているのは、
やっぱ、目に見えない遠隔操作のおかげなのかなぁ...と。(笑)

そんなことをもごもご話してると、
「それは日頃の行いがいいからですよ」とスタッフの方に言われ
あぁ、その台詞もわたしの口癖だぁ...とひとりでおかしくなった。


こうやって、ひとつひとつと開けるたびに思う。
つくって、いいのだな、と。




ということで、
のっぴきならないことが起きない限り、
11月、ここでやります。
酸いも甘いも知り尽くした、
齢90くらいの、おじいちゃん建物です。
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by cotomono | 2009-02-04 20:34 | Comments(2)

ようやく、2月。

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1月は寒かったり塞がったりで、とにかく長く感じた1ヶ月だった。
いろいろ考えさせられることの多い日々だけど、
それもあってのわたしなのだから、素直に感じるがまま、
これからも自分にできることを続けていけらたいい。

1月はキモノ屋さんもピーク期を迎え超忙しかったけど、
モノづくりの方もこつこつがんばり、オーダーもの5点を作り上げ納品。
こっそり、次回の個展会場探しもやっていて、そこでまとまれば
個展に向けて春頃からゆっくり準備に入れるかも。

まぁでも、こういうのもああゆうのも、すべては縁なので、
これまでどおり、開けた方に進めばいいや。


そんなこんなで、ようやく2月。
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by cotomono | 2009-02-02 19:23 | Comments(0)