目を使わない見方のこと

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わたしたちには目がなかったが、いくつもの見方を持っていた。
見る、という行為にはいくつもの分かれ目があった。
道や樹木や川の流れと似ている。しかし明らかに違いがあった。
目を使わない見方のことをわたしたちは「遊び」と呼んでいた。
     
               ー 坂口恭平「現実宿り」より


わたしたちの顔に正面を向いてふたつ付いているもののことを
「表相」と言うそうです。

ひとつ前の日記にも書きましたが「相」には「すがた・みる」の意味があるので、
言い換えると「表相」とは「表(の)すがた(を)みる」となります。

当然、表があれば裏があるわけですが、普段その表相を閉じては開き「見る」ことが
できる世界とは読んで字の如く表の相であり、全体というものがあるとしたならば、
その半分だけを半ば強制的にわたしたちは見ていることになります。

少々ややこしい言い方をしましたが、自分の身体を眺めてみれば一目瞭然です。
がんばって眼球を移動させたところで180度しか見ることができないし、
日常の範囲でいえばもっと限られたごく正面だけでしょう。

「自分の目で見ろ!」などと頭ごなしに汎用されていますが、その一字一句を
眺めてみれば、ずいぶんと乱暴なメッセージであることに気がつきます。
(もちろん、そう言いたくなる気持ちもわかります...笑


さて、再来週から始まる「位相」という名の企画展ですが、
一言で言えば、今回の日記のタイトルに使わせてもらった
「目を使わない見方のこと」がテーマになります。

7月に熊本の橙書店さんで展示会をさせて頂いていたときに偶然、
坂口恭平さんの「現実宿り」を手にしたのですが、初めから終わりまで
よくわからない物語であるにも拘わらず、ところどころ本当のことが書いて
ある(のがわかる)ので確認のために何度も読み返していたのですが...

特に第10章、「見る」ことと「時間」について書かれているページが、
自分が考えていることがそのまま書いてあるように思えてしまい、
これはいったい何なんだ!と気になって仕方ないので、ここは冷静になろうと
テキストにして約3000字を丸っとタイピングした上で、改めて読み直しました。

それで、これはもう直接本人に話すしかないと坂口さんに電話をかけ、
今回の企画展の主旨(位相のこと、素形のこと)を説明した上で「現実宿り」の
第10章を丸ごと展示に使わせて下さいとお願いしたところ、許可します!と
快くご了解を頂くことができましたー。(もちろん、クレジット表記で)

それで坂口さんの「現実宿り」と自分の作品をどうつなげるかというと、
実はこれがいちばんびっくりしたのですが、この本を読む前から今回の企画展の
メインの作品として、カタカナ(言葉)のテキスタイルを使ってカタチの変わる
カバンを作ろうと思っていて、具体的にいうとカバンを開くとマントになるカバン
なんですが、「現実宿り」の第10章にほぼそれをイメージさせることが書いてある
あるわけなんです。なんなんだこれはー!!!と、本当にビックリです。
ちなみに、松尾さんも面白がってくれて、このページを読んだイメージを
グラフックで表現してもらうことになりました!それも楽しみだなー。


まだそのカバンはカタチにしていませんが、
雨が上がるのを待つ「雨宿り」ならぬ、
現実が明けるのを待つ、現実宿りのカバンとして、
近々、この表相の世界に現れることでしょう。
























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by cotomono | 2017-09-03 18:42 | Comments(0)
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