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あけまして。

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2012年もあけまして、おめでとうございます。
今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

そして、年賀状を下さったみなさま、ありがとうございます。
わたしは、今年は年賀状をお休みいたしますが、
春頃にご挨拶状など、できればいいなと思っています。

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普段、親孝行らしいことはぜんぜん出来ていないので
罪滅ぼし的に、暮れからお正月にかけて実家で御三どんさん。
うちはずっと「おせち」は家で手作りしていたのだけど、
今年は母を休ませようと、初めて買ったおせちでお正月を迎えた。
といっても、がめ煮、黒豆、かぶと人参の紅白なます、いりこの田作り、
それに、お雑煮はうちの味で...ということで、
そこいらのスーパーで買ってきたちょっとファンシーな割烹着姿(笑)で
母と台所に陣取り、洗いものをしながら右から左へちゃっちゃと作っていく。

わたしは母のことを、尊敬したりありがたがったり、まー、しないんですけど。
台所の母は、すーぱーかっこ良くいつまでたってもかなわんなと思う。
おそらくっていうか、ほぼまちがいなく、わたしは母のようには生きないけど
「家のごはん」という、つくることの根本のような日常を共働きしながらも
くりかえし、くりかえし続けてきた人の力って、何かと天秤にのせて、
重い、軽いと言えるもんじゃない。わたしがひとりでも毎日ごはんを作って
食べるのも、きっと、そんな土壌があるからだろう。





さて、お正月に西村佳哲さんの新書『わたしのはたらき』を読む。
タイトルを「わたしの働き方」でも「わたしの仕事」でもなく、
「はたらき」にしてるところが、本書のテーマがよく現れていると思う。

「仕事」や「労働」というと、それに対価が生じがちになるものだけど、
「はたらき」とは、もっと自発的で衝動的で、一方的でありながらも
まるで水脈のように、みえないどこかに向かって拡がっていくイメージがする。

本書は9名の対象者、それぞれの「はたらき」について、インタビュー形式で
構成されているのだけど、そのなかで、震災後、故郷の熊本で「ゼロセンター」
なるものをつくり、避難者家族の受け入れ活動などをされている坂口恭平さんが、
哲学者カントの言葉を用いて「啓蒙」について述べている下りがあり、
自分がなぜものづくりを続けるのか?にも、すこし通じるところがある気がして、
以下、一部を引用させてもらいます。






 啓蒙とは何か。

 それは人間が、みずから招いた未成年の状態から抜け出ることだ
 未成年の状態とは、他人の指示を仰がなければ
 自分の理性を使うことができないということである。

 人間が未成年の状態にあるのは、理性がないからではなく、
 他人の指示を仰がないと、自分の理性を使う決意も勇気も持てないからなのだ。
 
 だから人間はみずからの責任において、
 未成年の状態にとどまっていることになる。

                         イマヌエル・カント


by cotomono | 2012-01-02 13:52
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